[コメント] 最後の特攻隊(1970/日)
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レイテの最初の特攻、鶴田だけ帰還。司令官の見明凡太郎も特攻参加「これで最後にさせる」そして彼だけ成功。けれど特攻は続けられた。そのため鶴田は小池の再度の誘いをまず辞退する。これは鶴田一世一代の名科白と云うべきだろう。そして葬式屋と云った直掩隊(特攻機を守る役目)を引き受ける。特攻と直掩を一対一として譲らない。 出撃にあたって髑髏の旗を写しているが、これは事実なんだろうか皮肉なんだろうか。
鶴田は故障と嘘ついて帰還した少年兵渡辺篤史を無理矢理擁護もしている(燃料足りないのに何度も試験飛行するのは無理だろうが)。彼の母で按摩の荒木道子がやたらいい。特攻前夜の宴席無礼講は、彼の整備兵異動への抵抗となる。特攻させてください、と云う彼は本音で云うのか建前で云うのか。それは私のラバさん(劇伴は動機の桜を流す)でバカ騒ぎする全員がそうなのだった。(渡辺篤史は室田日出男と並ぶとどっちがどっちか判らない)。ここはとてもいい件だった。
渡辺は脱走し、荒木と逃げようと云い、荒木は追い返す。「そんな卑怯もんに育てた覚えはない」。自殺しようとして鶴田に救出され、脱走を見逃される。そして渡辺は温情に報いるために特攻を再志願する、という展開は少し違っちゃった。中途半端な庇い方が無茶な死に方をさせてしまった鶴田は悔いている(健さんが私も貴方の援護で死にたいとか云い出しているのは、鶴田には弱ったことなんだろう)。なお、渡辺に最後、落下傘降下を指示しているが、これは特攻ではなく飛行機の交戦だからだろう。荒木は「この子を卑怯者に育てれば良かった」と泣いた。
本作は『陸軍残虐物語』の脱走兵を鶴田が連れ戻したようなものだ。佐藤映画が丸くなったのは年齢か時代か。反戦思想の梅宮辰夫は特攻を志願し、元名飛行士の兄の山本麟一に無駄死にするだけだと諭され、「戦争を起こした奴等を憎み続けて死ぬんだ。僕らには、それしか云いたいことを云う方法はないんだ」と唸る。こんな断片にはまだ継続されているものが見当たる。
1970年の作品として、過去の特攻映画の焼き直しが多かろう。「もはや勝ち負けは問題ではない」内田朝雄の中将が特攻を主張して映画は始まり、小池朝雄が鶴田浩二に編成を依頼(しかし本作の小池は怨念の対象にはされない)。特攻で死に損ねた鶴田が帰宅したそのとき、父の笠智衆は反戦思想で憲兵に引っ張られる。「自分の信念で選んだ道を歩め」。同時に妻の藤純子「貴方の赤ちゃんが(できたの)」。高倉健が隊に編入され「兵学校以来だな」。整備兵若山富三郎の田虫。特攻映画としても任侠映画としてもいつもの展開である。終盤は赤ん坊連れて会いに来た藤純子に会わない鶴田。しかし洋風の産着は当時リアルなんだろうか。内田は謝罪して自害している。
敗戦。鶴田「零戦を一機いただきます」。小池の「死んでいった部下や同僚にかわって貴様には生き抜く責任が生まれた」という立派な意見を鶴田は振り切る。「長い間お世話になりました」。最後の夕陽だけカラーになる。冒頭「この物語は宇垣纏中将とはなんら関係ありません」と字幕が入る。宇垣は部下を引き連れて出撃しており、本作の単独飛行とはまるで違うと思われる。殆ど反転させている。
凸ちゃんほか当時のスター女優の写真で双六が作られている。神風をシンプウ、零戦をレイセンと呼んでいるのはリアリズムだろうか。文太は上官の敵役で端役。空中戦は実写と物語の接合が上手くいっていないように見受けられる。
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