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[コメント] 大番(1957/日)

昭和2年から7年の兜町を扱うのだが、昭和5年からの昭和恐慌に言及されないのが不思議。相場師は不況でこそ儲けるのだろうか。豪華再現美術が素晴らしく、宇和島の農民生活描写も綿密、昭和初期の都市と農村の格差を浮き彫りにしている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







昭和2年宇和島発東京行列車、加東大介18歳、浴衣にカンカン帽かぶっていなかっぺ大将そのままである(あのアニメは参考にしているかも知れない)。弁当は焼いたメザシ(イワシとも云われる)。就職してすぐ臭うから風呂屋に行けと命じられている。

宇和島の生活がとても穿って紹介される。戦後四国に住んで『やっさもっさ』で四国独立運動も描いた獅子文六の取材。宇和島観光協会が協力しているが、田舎町の否定面さらけ出してよく協力したなと思わされる。有名な段々畑は殿様が7万石を10万石にするために無理矢理作らせたもの。米ができないので沢村貞子さんが芋煮て作った鍋底をシャモジで掬うとカンコロ音がするからカンコロ飯が主食。

「若し宿」は集会所に集まって先輩三木のり平(!)の性教育講座で夜這いの方法を学び(中絶するなら「殺し婆あ」とも云われる)、教えられた通りに当て物屋(昔の籤が面白い。よく当てる加東の株屋人生が予感される)で教えられた通りに梟の鳴き真似すると清川虹子がおいでおいでして嬉々として忍んでゆくのだった。友達の太刀川洋一は役場でガリ版すりながらあれは在郷だけの風習、町方ではしない東京では捕まると教えている。太刀川と結婚することになる加東の妹の上野明美が丸顔で可愛い。

山も田も全部持っている旧家のお嬢が原節子(女学生のショットが戦前を思い出させる可憐さなのだが本人だっただろうか)。帰省は人力車で10人ほどの御付きが一緒に走り、町の人は最敬礼で迎える。豪勢な再現美術の盆相撲では地主一行は二階席に陣取り、加東はガリ版で刷った大量印刷のラブレターをはずみで原に渡してしまい、番頭の多々良純が派遣されてきて侮辱罪みたいなもので訴えると云われて加東は出奔、東京に逃げた。

この、地主階級の娘をモノにしたいと云うのが、加東の金儲けのモチベーションとして位置付けられている。『お嬢さん乾杯』の原と佐野を転覆させたようなものだろうが、本邦資本主義のエートスとしては軟弱に見え、そんなもんじゃないだろう、これは大衆小説気質で弱い。加東は純粋に惚れており、原が結婚していようが構わず、待合女中アワシマが迫って来ても断ってしまう。そして断られてもついて行くアワシマの加東への懸想はイマイチ無理筋で、加東のカネ目当てに見えてしまう。いや正にカネ目当てなのかも知れず、それがリアルなのかも知れないが、それなら彼女の造形に『夫婦善哉』のような陰翳を与えるべきだっただろう。この横軸のブレが作劇の瑕疵になり、名作になり損ねている。「男にも操があるのね」とアワシマは拗ねており、これは当時の田舎物の矜持ということだろうか。

冒頭の上京、知古の佐田豊にこの不景気に仕事あるかと怒られるが、蕎麦屋の大将田中春男に紹介され株屋の丁稚。暖簾がかかる蕎麦屋ぐらいの広さの店舗には木製の机が並べられて従業員が十人ほど。金庫に黒板に新聞スタンド。突然入ってきて注文聞いて駆け出す鳥打帽の小僧がいて、何だと思っていたらこれが加東の次の仕事、セリ場から伝言貰って他店の小僧と競争して駆けっこして店まで注文を持ってきており、電話も引けない会社だと揶揄されている。次には「場立ち」になり、千人もいるホールで手やりして、ぐるりの中二階では会社毎に札を下げて株価が示される。いい美術だった。加東は最初、声が小さくて注文が通らなかったと怒られている。

先輩仲代達矢は小金持ちで株屋は給料なんか気にしていないと株で稼いでおり、加東も中山豊に路上で誘われて相場の賭けをしている。正月に帰省して戻ったら会社は潰れていて社長は夜逃げ。仲代はこんな業界なのさと兵隊に行ってしまう。「親店」の河津清三郎に相談したら今は日本の株式はまだ過渡期、学なんかいらないお前は筋がいいと紹介され、独立して歩合貰って店を渡り歩くランシングブローカー、「サイトリ」になり、銀行だか証券会社だかを足で回っている。昔有名だった相場師の東野英治郎に洋食奢って教えて貰った南満州鉄道に、アワシマや河津から借金して注ぎ込むと大当りで儲けは20万円(10円が今の6千円として1憶2千万円)、加東の笑顔がドアップになる。アワシマはお礼参りだと加東を柴又の帝釈天に連れて行って、ここで件の求婚と拒否となる。原と偶然再会して無視され、軍人の亭主平田昭彦見てもっと儲けると鐘紡に投資して、折悪しく5.15事件で暴落、素寒貧になりまたメザシ喰って田舎へ帰るところで「青春篇終」。

このように本作は昭和2年から7年の兜町を扱うのだが、不思議と昭和5年からの昭和恐慌が扱われない。鐘紡の社長の武藤山治は井上準之助蔵相の金解禁政策を批判したことで知られ、加東の鐘紡での破産はこの点の批評があるのかも知れないが映画だけでは判らない。昭和七年の5.15は金解禁を再禁止した犬養首相の暗殺事件であり、このときすでに浜口首相も井上蔵相も暗殺されている。

(評価:★3)

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