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[コメント] われ一粒の麦なれど(1964/日)

ポリオの歴史について啓発的。単体では不足気味だが、その後松山が撮り続ける障碍児映画の端緒として価値ある作品だろう。彼こそが本作の、正義に憑かれた小林桂樹だった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作はNHK記者 上田哲の活躍を農水官僚の小林桂樹とテレビ記者の大村崑に二分割して描いている。最初はNHKを借り切ってのセミドキュメントでの製作が模索されたらしく(下記サイトによる)、そうすれば面白いものになっただろうが、断られたため、このような作劇になったらしい。結果、生ワクチンの投与決行という歴史的事件に松山の作劇が混じり込むことになり、インパクトを欠くものになってしまっている。後に政治家になる上田氏の宣伝映画にする訳にもいかない、という事情もあったのだろうか。それでは狭量だと思うのだが。

肝心のポリオについての説明が舌足らずなのが弱い。庭で蟻に喰い殺される蜻蛉が象徴的に使われるのは、当時、感染経路が子供の土遊びと思われていたせいなのだろうか(私も幼少の頃、泥遊びをして手を洗わないとひどく叱られたものだったが、ポリオの記憶もその理由だったのだろうか)。また、凸ちゃんの町医者に実験が押しつけられたのは、事実なら仕方ないが、フィクションなら無理筋だろう。

あれほど活躍する小林が、映画の終盤でやっと小児麻痺児童を目の当たりにしてショックを受ける(それまで見たことがない)のもおかしいだろう。ただ、天啓のように活動にのめり込んだ小林がその認識を深めていったのだ、いくべきなのだ、という物語はよく判る。車椅子生活の大辻伺郎は熱演だが演出上の造形は深みがなく、ホラー系のショットや音楽が塗されているのは大いに余計。しかし、障碍者だろうと論争を挑む小林こそが、彼を人間として尊重しているのだ、というニュアンスがあるのがとてもいい(最後の大学校歌はよく意味が判らないが)。最後の、ひとりで立ち上がらせる障碍児の描写も、大辻同様に唐突であり違和感があるが、その後松山は筋を通し、障碍児映画を撮り続けるのだから、我々が文句を云う筋合いにはないと思った。

本作でいいのはユーモア。ユーモアを導入に使い、どんどんシリアスになりユーモアは忘れられるという呼吸の多い松山映画だが、本作は最後までユーモアを忘れていないのが好ましい。小林が多忙になったので孫に教えてまで花札をする岡村文子がケッサク。 飄々とした大村崑は見事で、水谷良重もいい。菅井きんの狐のお面はシリアス真っ最中だからやや悪乗り。

鑑賞フィルムはスキップが多く残念(計6分短くなっている)。ぜひ良好に保存してほしい。生ワクチン投与実験で児童施設長の森繁に、あんたの子供も連れてきたらうちの子も出すと云われて、凸ちゃんは出しますと応えるのだが、小林は何も云わない。これは作劇上おかしく、当然小林も自分の子供に投与したのだろう。ここもフィルムが脱落していたと想定した(そうでなければ1点減点である)。

華岡青洲の妻』(67)に似た物語だが本作の方が(原作よりも)早い。『生きる』を真逆にしたような小林の造形は、上田氏の人柄を模写したものなのだろう。上田哲「根絶」は下記サイトで読める。

http://www.geocities.jp/hokukaido/konzetu/e-mokuji.htm

(評価:★3)

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