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[コメント] 明日ある限り(1962/日)

香川京子の人生は厳しいが人並み外れて充実しているのは疑い得ない。凡人は仰ぎ見るばかりだった。酷薄な撮影が恐ろしいようで、「雨降りお月さん」が忘れ難い。♪お嫁にゆくときゃ誰とゆく?
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なんという撮影だろう。昭和16年、娘は白内障。水晶体を取って眼鏡をかければ眼は見えるようになると云われて喜ぶ香川が娘をおぶって渡る踏切からして素晴らしい。手術に赴けば北村和夫の眼科居は出征。そこから「めくらと違うよね」という哀しいシーンが続く。医者を求めて田舎の一本道を捉えるクレーン、日傘差して娘をおぶって心細気に歩む香川。校庭を出発する兄姉を町中で手を振り見送る学童疎開(頑張れと声がかかり続ける)の件も、本編とは外れるが忘れ難い光景だった。

「草履隠し」という小豆島の隠れん坊の件は残酷だ。子供らは鬼から逃げてチリジリになるが、娘の原地東だけはヨタヨタとキャメラの方に寄ってきて大写しになり、キャメラに衝突寸前になる。彼女はキャメラへのポーズの仕方を知らないのだと映画は晒している。何という残酷なショットだろう。小豆島の内海に望む浜に並べられた巨大な樽に並んで座る母子。兄嫁の乙羽信子は置いてきぼりにした彼女の娘を然るが香川は取りなす。「あの子はいつもあんな目に合うのよ、気にしないで。娘さんだけで味方にはなれないわ」。

戦地で怪我したのか、軍病院に入院していた夫の佐野周二が戻る(人生を達観している人だと入院時に示されている)。盲学校を勧める佐野を薪割り(やたら上手い)していた香川は怒るが「愛情が偏ってはいけない」と佐野は主張を続ける。雨降りお月さん唄いながら大溝の裏通りを歩く娘は香川に気づかない。香川は先回りして抱きしめる。このシーンが忘れ難い。盲学校の校庭で徒歩の練習していたら空襲。少しでも見える子が羨ましいと漏らす加藤治子の息子だけが逃げ遅れる。

後半はこの「愛情が偏ってはいけない」の主題で展開し、成長した娘の星由美子は香川が勧めた音楽家の道を断念してマッサージ科へ進む。最後に星は夫婦の銀婚式に白い杖の友人たち(彼女らの演劇素人っぽい佇まいがとてもいい)を招待し、星は全盲の稲垣隆と結婚して治療院に住みこむのだと許しを乞う。佐野は娘を全部認める(この夫婦も駆け落ちしたのだった)。泣く香川に星はヴァイオリンで拙いウエディング・マーチを弾く。ふたりになった歩婦は雨降りお月さんを口ずさむ。香川の情愛は多少の暴走を経て諦念の輝きに至っている。

雨降りお月さん雲の蔭/お嫁にゆくときゃ誰とゆく/ひとりで傘(からかさ)さしてゆく/傘(からかさ)ないときゃ誰とゆく/シャラシャラシャンシャン/鈴付けたお馬にゆられて濡れてゆく

血統、遺伝の話が二度出てくる。姑の杉村春子は、人の血統にケチをつける医者の手術など止めろと怒っている。結婚にも差し支える。「私は反対ですよ。どこまでもね」。医師は先祖に眼の悪いものがいるかと、遺伝について尋ねただけなのだろうが。二度目は病院から戻った佐野周二がぼそりと曾祖父に盲がいたと云うのを香川が拘り、佐野はキミは今日はどうかしていると叱る。

星を紹介(武蔵白石駅ロケ)したことで兄の山崎努水野久美にフラれ、姉の池内淳子は私だって同じことがあったと漏らしている。星の自立は明示されないが、こんな事情を知ってのことだっただろう。武蔵白石駅は現在も殆ど同じ佇まいだ。その近辺らしい山崎の勤め先の工場は煤煙が凄い。三人の兄妹は銀婚式にガスレンジをプレゼントしている。星の緊張型の造形も忘れ難い。タイトルは「あしたあるかぎり」とルビがふられている。原作小説は「雨夜の星」。劇場への案内に、宣伝で「先天性白内障」「そこひ」などの文字や遺伝云々は使うなという指示が書いてある。東京映画、モノワイド。

(評価:★5)

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