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[コメント] 下郎の首(1955/日)

失われた『下郎』(27)はもっと尖ったフィルムだったに違いない。このセルフリメイクは地蔵さんのように穏やかだ。河原者の芸能描写も素晴らしい。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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黒子が九つの小沢栄は、単なる悪役というには奇怪な造形が施されている。高田稔との囲碁の勝負の、待ったが何回みたいな子供同士の云い争いじみた喧嘩も奇怪なら、田崎潤に斬り殺される妾宅の件も奇怪だ。突然の来訪のドタバタ、脚が痺れる田崎、茣蓙で簀巻きにされる田崎、天井に刀打ち付けてしまう小沢、狭い処で出鱈目な剣に刺されてしまう小沢。たぶん、戦前作では極悪人の造形だっただろう小沢を、映画は間抜けな男としてユーモラスに描いている。

別の藩では警察力が及ばないというアメリカみたいな制度のため仇討ちが公認されたのは有名な話だが、本作では、敵討ちを果たせば旦那は加増のうえ帰参が許される、と科白にあった。この物語のように、敵討ちを当人が果たさない(部下が果たす)ときは、違法性が発生などするのだろうか。小沢栄の敵討ちに彼の息子が参加しているのは同じ意味なのだろう。映画は子供が復讐するショットでこの制度を揶揄っているだろう。

「奴さん」は原信夫のジャジーなバッキング素敵な江利チエミの代表曲なのだが、原型が聴けたのが嬉しかった。神社で同じ河原者の三味線と盲目の少女の唄に合わせて、田崎潤が槍持って大名行列のように舞い、投げ銭を得ている。奴さんは狭義には武家の召使いの意とのこと。

そして足があるのに「いざり」の格好で乞食をしている三井弘次が強烈な印象を残す。両手に下駄を持ち、腹から下を茣蓙で隠して地面を滑っている。雨宿りに入れて貰えず蓮の葉を被っているのは、仲間からも嫌われていると示すのだろう。そして橋の下に降りるためには立ち上がる。河原者仲間にはバレたって構わない。橋の下の美術が素晴らしく、ああここが河原者の世界、本邦芸能の始まりの感慨がある。

そして嵯峨三智子がいい。これほど惚れたら一途の造形は観たことがないように思う。嵯峨はまるで逡巡するための内面などないかのように、想いを相手にぶつけていく。 私的ベストショットは延々たるモノローグのなか、書けない半紙の白をこれも延々と撮り続ける件。ひとり逃げる主人の片山明彦。字が読めず「下郎いかように処分なさろうとも異議なし」と自分の処刑の文面を野次馬に読んでもらう恐ろしい件。主人を疑ったまま死にたくないという部下の心情を吐露する。

強烈なのだが、しかし思ったのは、もし、さらにひどい奴隷根性を田崎が持っていたとしたら、彼はこの書面を嬉々として受け入れたのではないだろうかということ。それはもう地獄絵で、本作には人間性への信頼があった。田崎と嵯峨がすでに殺されて倒れた河原に遅参して、復讐者たちに相手にされない片山への侮辱は新約聖書のようだ。この卑怯者の主人にキャメラは八方からアップで迫る。そして顔の磨り減った地蔵さんに色んなものを託している。

(評価:★5)

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