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[コメント] 聖処女(1943/米)

欧米世界はこのイカレた物語のうえに成り立っている。すでに成り立っているのだ。憑かれたジェニファー・ジョーンズの造形はブレッソン『ジャンヌ・ダルク裁判』に影響を与えたのだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「神を信じる者に説明は不用であり、信じない者には説明も意味をなさない」と冒頭に述べられる。中世ではない、鉄道が来る1858年の出来事なのだ。同時代にゾラは「集団狂気」みたいは論評を書いているらしい。科学では理解できないこと、とは私の若い頃にはありふれた物語で、手塚治虫を代表として連発されていた。いまはどうなのだろう。本作の奇跡はその起点のひとつと思わされる。

映画は市役所内の議論に多く時間を割いている。原作は小説だが、どこまでリアルなんだろうか。検察官は「歴史を見ろ、常道を逸した信仰心は人類を後退に導く」と、とても全うなことを云う。「詐欺も精神病も奇跡も科学の枠に入らない」と語る医師は「では何が残りますか」と問われて答えられない。判事はついに終盤、泉に行く。マリアは現れて判事を祝福するが、判事にはマリアが見えない。このシーンはとても心を揺さぶるものがある。

奇跡の認定に慎重な教会も興味深い。昔アヴィニョンで嘘と判った例があり、教会も批難されたと。「昔なら火刑ですよ」と老シスターは云う。「苦しまない貴方がなぜマリアに会えるの」。この主題はルルドの現在を扱った傑作『ルルドの泉で』(2009)で見事に反復されていた。

私は肝心なのは、泉が湧いて(前任者が馬にけられて)父に仕事が回ってきたり、泉による色んな奇跡(目が治る彫刻師、足が治る赤ん坊)が実際に起こったことなのだろう。逆に云えば、奇跡が起こらねば人は信じないのか、という疑問に至るだろう。この疑問を、キリスト教は背負ってきたのだろう。

石造りの町や吊り橋はどこまでセットなのだろう、見事な撮影美術。曲がった石づくりの街路を人が走ってくるのをやや仰角で追い、キャメラの傍を通って走り去る、というダイナミックなショットが何度もあり、その度に息を呑む思いがした。ベストショットはおそらくマリアが最初に登場する件。辺りがにわかに暗くなり、画面中央の枯れ枝の奥から木の葉がパッと散る。この鮮やかさは忘れ難い印象を残す。

母親役のアン・リヴィアはいつもいい。この人も赤狩りで映画のキャリアを中断させられた由。終盤の修道女の嫉妬などは詰め込み過ぎだっただろう。エンドタイトルには戦時国債購入の宣伝が貼られている。

(評価:★5)

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