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[コメント] 岸壁の母(1976/日)

キノシタ『陸軍』の変奏のような告発。このような70年代までのウエットを80年代はきれいに消し去ったのだが、あれは、電通の陰謀ではなかったのだろうか。林寛子は絶頂の可愛さ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







昭和8年に夫と死別、家から跡取り息子を残して再婚せよと云われて抵抗(荒木道子北村和夫の見事な意地悪ペア)、函館から上野へ息子を連れて逃げる中村玉緒。イエ制度においては、よくあることだったのだろうか。

この逸話はとても効いている。同じ息子がついには国家に取られてしまうのだ。「国へ奉公なんて云えない」と出征見送りを一旦拒否する玉緒の心情は、家から追い出された記憶と直線で繋がっている。そして鉄橋へ走る姿がキノシタ『陸軍』とWる。

息子の戦友の大門正明の、クリークの水溜まりに落下した上を戦車が通過したから死んだに違いない、という微妙な報告もリアルなものがある。磨刀石でのソ連との衝突。これも早期終戦なら救われた命だった。21世紀になって、息子は大陸で生存していたという週刊誌報道がなされたのだった。

舞鶴はロケしているかどうか微妙。艀船と木製の桟橋(途中からコンクリになる)のは正確なのだろう、いい美術でリアルだった。昭和31年、引揚が終わり、蹲る玉緒に敗れた日の丸が纏いつく。ハンコ押したら遺族年金貰えるヨという厚生省に、それは死を認めることになる、親から取り上げておいてまともに調査もせず、それが国のすることかと怒る玉緒。彼女にとっては国の処分より、息子の「生きて帰るよ」の一言のほうが正しいのだ。

上野の家から逃げて自殺未遂の件、震災で一人になり屋台曳いている伊藤雄之助の精神的救助はボロボロな屋台の優れた美術でもって説得力が生まれていた。「生きれいれば何かいいことがある」という、こういう場合の本邦の決まり文句は貧しい。これしかないのかなあ、といつも思ってしまう。大観プロダクション制作。『軍旗はためく下に』も想起される。中村玉緒出ずっぱりの映画も、村尾昭がヤクザ映画以外のホン書いたのも珍しいんだろう。

(評価:★5)

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