コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 原発切抜帖(1982/日)

偏屈者の繰り言にお付き合いをと語るのは小沢昭一。高木仁三郎が監修。原子力船むつの頃から原発には馴染めないものがあったと、10年続いたスクラップブックが繰られ、渦巻く疑念が纏めて語られる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







スリーマイル島(79)の時も、放射線はX線程度だと安全の報道が繰り返された。敦賀の放射能漏れ(81)は事故隠しがあり、毎日がスクープして職員が自殺している。なおWikiによれば、この事故は日本の原発への不信感の萌芽であった由。

原発は1955年には打出の小槌のように期待された。電気料金は二千分の一になる、ロケットで大陸旅行、という囲み記事が載っている。

ビキニ環礁(54)と前後してソ連も実験を行い、死の雨が降る、山形の灯台員が白血球欠乏との報道、ビキニの島民は帰還できず「のろわれた島ビキニ」の見出し。ジョン・ウェインがネバダ州でロケしたとき(『征服者』(55))被曝して癌の噂。この話は広瀬隆「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」という本がある(未読)。

敦賀の原発の発電は万博(70)で披露された一方、原子力船むつは放射線漏れを起こし(72)、漁民が入港反対「我々を子猿と思っている」。アジアの研修生受け入れは後の原発輸出のための下準備。インドで核実験(74)ほか。

再処理工場は初日から事故、30万本の廃棄物ドラム缶、南極か、ロケットで宇宙へ捨てるのかと議論。太平洋投棄は反対、81年には反原発デモが起きる。電力労連、原発やむなしの情けない記事。パラオで非核憲法。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。