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[コメント] 子供の眼(1956/日)

W高峰唯一の共演作は地味な市井ものでジレンマはシリアス、ある意味最後まで問題は解決せず、何かを切り捨てなければ成り立たない生活が綴られる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







芥川比呂志の子供設楽幸嗣を妹の凸ちゃんが育ててきて、芥川は三枝子と再婚する。三枝子の実家は歯科医で彼女も資格を持っており、ちょうど父の笠智衆が病気になったので実家で町医者を続ける。本来は芥川の子供の面倒を見るべきなのだが、詳述はされないが、三枝子にしてみれば凸ちゃんへの遠慮があったのだろう。子供は凸ちゃんの方に懐いている。そういう前提が徐々に炙り出される。冒頭、晩飯を一緒に食べようと子供と待っていた凸ちゃんは、食べてきちゃったと戻ってきて風呂へ行く三人を文句も云わずに見送る。ここでは日本中そうであったように、子育ては仕事と見做されていない。犠牲になっていないで結婚しろと友達の丹阿弥谷津子に云われて「仕方ない、たいへんだったんですもの終戦後」。なお、このような、電話があればなかっただろう行き違いが本作は多用される。

子供の拾ってきた子犬を三枝子が嫌って、凸ちゃんは捨てに行かされる。子供には逃げたと云えばいいと芥川が仕方のない悪知恵を託する。三枝子は同じ壺井栄ものの『柿の木のある家』(55)でもやはり犬嫌いの役を演じていて上手かった。庭を眺めながらミシンをがたがた踏み続け踏み続け、えいと立ち上がって何をするのかと思ったら犬を捨てに行く。ここは印象的な件だった。庭の軒下には子犬がいたのだった。公園の藪に捨てたらもう一匹寄ってきて、自宅で二匹に増えているいいギャグになる。

三枝子は実家にお得意の患者を診てくれと云われるし、資格まで持っているのは彼女が跡継ぎと目されていたのだろう。母の滝花久子は三枝子を実家に連れ戻そうとする。「お婿さんを取るはずだったのよ」。これは当時の常識外れだろうが、思えば家制度のない戦後において夫婦がどちらの実家に住もうが勝手であり、滝花の方が正しいとも云えるだろう(もちろん家からの命令はできない。「新憲法で跡取りはなくなったが」と滝花も云っている)。三人で京城から引き揚げてきたのよ、と語っている。夫の芥川の名古屋栄転を聞いて困り、どっちが大事か決まっていると夫婦は確認するのだが、三枝子にすれば実家の医者のようが大事に決まっていたのではないだろうか、という言外の含みが感じられるのがホンの巧みな処だった。

凸ちゃんは滝花の姦計で大木実と見合いする。ふたりが結婚すれば身軽になった芥川夫婦は町医者の実家に移りやすくなると踏んだのだが、名古屋転勤ではもう意味がなくなってしまったので凸ちゃんに断らずに大木に断りを入れてしまう。急に連絡のなくなった大木に直談判する凸ちゃんの積極性が後半を彩っている。戦前の娘さんなら泣き寝入りする処なのだろう。

このように滝花は全くの悪役だが、両高峰対決において的確にフォローされる。凸ちゃんは、お姉さんの気持ちがぐらぐらしているからお母さんもどんどん流されていると云うのだった。最後は芥川に結婚を考え直そうと云われて三枝子は名古屋行を決意している。最後は笠智衆が歯科医を雇うと決める、という好転の条件が出てくるのだが、実家にはこれは経皮的に痛いのだろう。全くの正解などなく、しかし何かを切り捨てなければ夫婦生活などやってられない、という処に着地したという感想。そのために子供の二匹の子犬が捨てられた(三枝子に戻ってきてほしいから子供が捨ててしまったという科白の処理)のは残念なことだった。

冒頭の会社の屋上から見える煙突が黒煙を上げているのが禍々しい導入。凸ちゃんと大木の最初のデートで観劇するシルエット強調する前衛バレエが何かすごかった。『二十四の瞳』に続くゴールデングローブ賞受賞作。原作は中篇らしい。

(評価:★4)

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