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[コメント] 沖縄健児隊(1953/日)

「沖縄島民は日本国民同胞のため、その身代わりのため立ち上がった」という無茶苦茶なナレで始まる、観たくもないような沢松勉の敗戦の弁。映画は全編『ひめゆりの塔』のパクリ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







青年は行進して壕掘り。昼休みには空手している。師範学校の学生石浜朗の母は対馬丸に乗った妹から連絡がないのを気にして九州へ疎開。先生の大木実は、本土へ行けば判るから云うが対馬丸は沈んだ、石浜にお母さんに付いていけ許可取ったと伝え、石浜は卑怯者になりたくないと沖縄に留まる。なんで大木は母に妹の死亡を告げないのかよく判らない。その船も沈没、母は死んだと石浜は後に知る。

米軍は慶良間列島に上陸して砲撃開始。グラウンドでは学生たちの壮行会、校長永井靖が本土から戻って大人気、なんて断片は『ひめゆりの塔』の真似。学生全員の徴用に校長は反対するが、牛島司令官柳永二郎は私も反対だがやむを得ないと懐柔。師範学校生は鉄血勤労師範隊の千早隊で伝令役。荻田洋巳の親は一緒に逃げようと誘うが本人はやたらやる気。壕にピアノが置かれてあり前田正二が音楽学校行きたかったと云いながら弾いているが、ピアノまで運搬させるとは無駄な労力である。戦争とピアノという記号自体通俗。

米軍上陸、日本軍反撃とナレ。砲弾ボンボン飛来するなかを突進して荻田の家の避難の手伝いするが一家は被弾する。続いて校長が壕で冗談飛ばす件に繋げる編集は無神経だろう。天長節に不沈艦大和沈没の報に悄然。荻田ら14、15歳の下級生は特別編隊組まされて海ゆかばの合唱に送られ最前線へ出兵するが、これは戦死したときの歌だろう。判って意図的に使うのだろうか。

特攻見て俺も戦って死ぬと云う石浜に、ひめゆり隊の紙京子生きるのよといい残して去る。特別編成隊全滅、部隊は「転身」、雨の夜に行進していろいろあって先生の大木が石浜に「死ぬときまで生きろ」とか云って摩文仁に着。本作は周囲の人間が生き急ぐ石浜に生きろ生きろと繰り返す。

洞穴のなかで最後の決戦だと地下工作の指令。敵を後方から攪乱し、占領地区にいる地方人の戦意を高揚して彼等の利敵行為を阻止せよ。戦線突破して敵の背後に回りこめ。捕虜になってもいい、命を大事にしろ。牛島が挨拶、人情こめて肩叩く。牛島は軍に戻って、あからさまに投降せよとは云えんからな、学生は捕虜になっても罪ではないと牛島。大木はこれ聞いて感激して泣くのだった。

石浜は田浦正巳とふたり任務地へ。夜の野原で沖縄民謡を妖しく踊る婦人に出会うが彼女は狂っていた、という詰まらない描写がある。キチガイになるより死んだほうましかも知れないと語る石浜。辿り着く岩穴ではいましも少年たちに肉弾攻撃決行の指令下る。ふたりも参加。行ってくれるか。砂浜で機関銃で狙われてボンボン撃たれて攻撃も糞もあったものではない。手榴弾をテントに投げて戦車に追われて転倒、さまよって敵トーチカに潜るとピアノ少年や荻田がおり、いまから四角い木箱の爆雷抱えて戦車攻撃。石浜は米軍のSP盤でクラシック聴いてピアノ少年らとの学生時代を回想しているが、彼等の学生時代はそんなだったとは思われず。このふたつの命令は牛島が大木に云っていたのと全然違う訳で、牛島の指示不徹底にしか見えない。

石浜が千早隊に戻るとなぜ捕虜にならなかったと云われ、沖縄玉砕の無電中。洞窟の校長はこうなるんだったら生徒を親元へ返しておけば良かった、教育者もこうなっては何にもならんと詫び、突撃戦車の火炎砲のアニメにやられる。牛島は兵舎で辞世の句したため、それがナレーターに朗読される。

石浜は海上で丸太抱いて海岸で意識を戻し、投降ビラ無視し遺体の靴盗み食料盗み、小沢栄に匿われ、八月十六日、サクラサクラ流して投降呼びかけに応じないが、米収容所からP.Wと背中に書かれたジャンバー着た大木が迎えに来る。小沢はスパイめと拳銃で狙うが詔勅見せるとこれだけは疑えんとしょげ返り、自決。死ぬのが正しいという石浜に大木は「死ぬよりは生きるほうが絶対に正しいんだ。虫も花も木も生きている」とイマイチの説得して、足元の山のような遺体を見て嘆くのだった。

原作はエンドタイトルに明記されているが、大田昌秀はなぜか太田と誤記されている。松竹モノクロ。

(評価:★2)

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