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[コメント] 日本侠客伝(1964/日)

俳優がいかにも多過ぎるのだが役割分担はさすがに的確、南田洋子長門裕之のロマンスはじめミヤコ蝶々から大木実まで、脇役のユーモアがそれぞれ決まっているのが大いなる美点。健さんの理想はよく判るものがあった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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明治末期の深川、木場政組対沖山商事、沖山運送株式会社、老舗の木場政組に対して沖山は運送会社作って馬力を暴力で脅して引き抜き15人。乗り込む木場政伊井友三郎(すごいいい役者)。沖山側は安部徹と弟天津敏。「馬力を引き抜いているって因縁がついているんだ」「冗談じゃない。今は自由競争の時代なんだよ」暴力で引き抜いておいて自由競争もないものだと思う。「誰が木場に乗り込もうと、法律でちゃあんと許されているはずだぜ」木場政答える。「法律で云っているんじゃねえんだよ。ただ深川の木場は昔から俺の縄張りだ。問屋衆や馬力たちもみんなそれで八方無事に暮らしているんだよ」。自由競争は否定ないし相対化されているのが興味深い。

伊井が亡くなった途端に木場政組の前に事務所建てる沖山。アメリカのガソリン会社みたいなものだ。木材の上田商店の注文、木場政さんには義理があるんだが、軍関係の注文なんで納期が煩い、人手がないんでと云い訳する後継ぎの大木実に、それに沖山の運賃は木場政の7割。大木実のリアクション「ふええ」が好き。

息のかかった警察署長は木場政組の姉さんの藤間紫に「沖山と合併しろ。斡旋の労をとってもよい」。軍隊から帰ってきて小頭になる高倉健。沖山の宴席を訪ねて述べる。「死んだ木場政と旦那衆とは商売上のお付き合いだけじゃなかったはず。この40年の間に、旦那衆のために木場政一家から何十人という身内が、命を失ったと聞かされておりやす。いまさら縄張りとかは申しません。できる仕事だけやらしてください」。宴席の主賓、内田朝雄は高倉に従う。内田は本作では善人で意外、これが効いている。しかし、何十人と命を失う現場とは聞き捨てならないところだと思う。

策士沖山組はさて運搬という日になって運賃5割増しと云い上田商店は泡を吹く。さらに軍がやってきて「算盤尽くで商売さえしていればいいという時代ではない」と無茶云う。木場政組頼まれて受ける。何とか仕事終えた高倉が藤純子にボソっと漏らす。木場政や沖山がいるからこんな間違いが起きる。「木場には問屋衆と馬力衆だけいればいいんじゃないかな」。そして木場政組解散を問屋衆に告げる。「二割のさやをこの連中(馬力)から取っていたから間違いが起きるんだ」。

高倉は縄張りの中間搾取を否定した。これが本作の結論だった。で、沖山も殴り込みで潰そうという健さんの算段なのだった。オーラスは両組ともなくなって平和な木場の様子。荷は馬と大八車で曳かれ、労働歌らしき歌が健さんの小頭襲名とこのラストで二度唄われている。この収束はひとつの理想であり事実ではあるまいが、主張は通っていると感じられた。

夫はモテたと惚気を始めるミヤコ蝶々が素晴らしい。質屋の親爺で南都雄二も登場して長門裕之と漫才をしている。長門が南田洋子に赤電車までに帰るという赤電車とは市電の終電車の由。その方角から深川の芸者を辰巳芸者と云う。このふたりの仄かなロマンスで展開する中盤がいい。その代わり藤純子はほとんど活躍しないし、安部徹が彼女をつけ狙ったりもしないのだった。大木実と学友で仇同士の品川隆二の刺し殺し合いがニヒルで終盤盛り上げる。

萬屋錦之助はやくざが嫌いで任侠映画の登場は本作だけ。無理云って出演してもらったがさすがだったと笠原和夫が云っている。中盤にゲストがひとりで殴り込みに行くのはシリーズのパターンになった由。ただ、私は本作の錦之助の突撃は全体から浮いていると思った。田村高廣三田桂子もオールスター的な登場で無理矢理見せ場を設けているが、それぞれが美味しい。ラストは筋肉隆々の健さんが殺されず逮捕される。初見かも。

(評価:★4)

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