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[コメント] はだかっ子(1961/日)

子供向けチンドン屋ゲンちゃんかと軽く観はじめるも、積み重なる描写の彫りの深さに居住まいを正さざるを得なくなる。白眉は有馬稲子のユネスコ憲章の授業。いまもこんな授業はあるのだろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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横田基地のフェンスにもたれて三味線の練習をする母子の構図に見入らされ、ユネスコ村で雨に襲われる件は美しく、修学旅行へ行けなかったふたりが遊園地で遊ぶ件の虚しさを抱えた繊細な描写でこの映画が好きになった。天井から撮られた母子の添い寝、ワンカットで音楽なしで追いかけるリレーのキャメラ720度回転、何度も挿入される窓から街灯を捉えたショット、どれも素晴らしい。木暮実千代の味のある演技は忘れ難く、彼女がシャツをキャメラに向けて放り投げるショットなど躍動感に溢れている。

「戦後民主主義」を後援会長の織田政雄とともに考える映画でもある。庶民からいかに金を巻き上げるかに腐心するのが資本主義であり、公営ギャンブルはそのグロテスクな典型、という共通理解が、この大ヒット映画のベースにあるのが判る。これを批判するための、別の経済形態への希求が当時は漠然とあったのであり、具体的には社会主義国家のそれこそグロテスクな崩壊により潰えてしまったものだ。もちろん本作にそんな提案がある訳でもなく、ユネスコの教科書には西側諸国しか出てこないが、なくなって初めて気づく体のものである(アメリカへのスタンスはよく見えない。子供たちの英語連発と米軍機の飛行は対照的だ。それともふたつのアメリカということか)。選択肢はなくなり、軍需産業だろうが原発村だろうが飯を食わねば仕方がない、本作の明るさは空疎にみえる、というのが現状だろう。いまや親子討論会など催す学校などあるまい、大学の自治は産学連携に代わってしまった。現代の織田政雄は公営ギャンブルの縮小に泣き、ヤクザも使えず、崩壊する地域を持て余している。公共事業の縮小で木暮実千代はコンピニのパートに出ている。

有馬稲子のユネスコ憲章の授業は美しい。本作の瑕疵は、この「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という前文を生かすなら、何か別の物語があったのではないかという疑問が残ることである。それにしても、飯も食えないのにユネスコ憲章か、というヒステリックな当節は寒いと思う。

いまなら顰蹙必至の「ニュー東映」火山噴火タイトル付き。

(評価:★5)

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