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[コメント] さようならCP(1972/日)

面白半分か過度に感傷的にしか垣間見られなかった障碍者の世界を挑発的に提出し断絶を強調する。彼等が路上にいてなぜいけない、同質的な光景は虚構だ、芸能とは本来アブレ者の世界だと示して明快、ある種の観客は本性炙り出されてにわかに座敷牢の主になり隠せ隠せと怒りはじめる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







CPとはCerebral Palsy=脳性マヒの頭文字と字幕。冒頭の保護者の発言には「与太は与太ほど可愛い」というのもある。団体でバス停でビラを撒きカンパ募る。子供にお金入れさせる母親が多い。カンパした人にインタヴュー。気の毒、可哀想、自分の健康が有難いから、苦労なさっているんでしょう、国が十分やっていないから。宗教を語る人もいる。我々の常識が逆照射される。「他人事じゃないでしょ」というシンプルな回答がいいなと思った。

主人公横田さんは車椅子使わずスロープや横断歩道を膝で歩いて「おっかなかった」。電車では椅子に座れず背もたれにして床に座り周りに他の客は寄らない。停車時間は短く降りるのに必死である。連絡すれば駅員が介添えにつくこと現代から比べれば無法地帯に見える。

歩行できる横須賀さんはカメラを構え続ける。産科の未熟児室、駅地下、駅前、そして観客を見返すかのように、映画のキャメラに向けられる。「旅立ちの歌」が流れる。皇居前で、見られるばかりの立場だと彼は語る。この重要な発言はほとんど聞き取れない。聞き取れないこと自体を映画は重要だと提示している。

性に関する連続インタヴューでは赤線行ったとか妊娠させて自殺未遂とか強姦したとか。主人公は結婚していて子供がいて、彼の離婚問題で仲間や妻と喧嘩腰で議論し、妻はキャメラに向かって出て行ってくださいと襖閉める。子供に障害はなく、夫婦喧嘩に構わずはしゃいでいる。

主人公横田さんの発言も殆ど聞き取れないのだが、映画はテロップを出さない。だた感情だけが伝わってくる。「僕の言葉、判らないでしょう」と云う。地下歩道で膝まづき、歩行者に手を差し出し続ける。歩行者は避ける。これを延々撮る。詩の朗読をするから聴いてくれとスタッフが語るが立ち止まる人はいない。歩行者天国では人が集まるが遠巻きに眺めているばかりで、朗読の意味は無論伝わらないが、強烈なインパクトは彼等に一生残るだろう。人のいない路上でストリーキングのパフォーマンス。路上を這って異言を吐くラストも突き抜けている。

(評価:★5)

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