[コメント] デリダ、異境から(1999/仏)
「私」にとっての「私」。この二つの「私」の同一性について。
「私」にとっての「私」は、「私」にとっての「あなた」や「あなた」にとっての「私」といった客体としての現存在ではない。世界を対象化している主体それ自身としての「私」そのものは、決して誰にも、「私」にも知られることはない。「私」が知りうる「私」は、対象化された自己としての「私」であり、主体としての「私」との間には断絶がある。「私」にとっての「あなた」や「あなた」にとっての「私」は、言うまでもなく主体としての「私」とは違う。
ここに出てくるすべての「私」の間に同一性はない。では、「私」の自己同一性はどこにあるのか?
デリダは言う。「同一性が確定されたとき、私は生きていない」。
ここに20世紀の思想がごく簡潔に素描されている。
追記:気になったこと
屋根裏の書斎(sublime)に日本語訳の本が置いてあった。
英語を話すときにHの発音ができてた。
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