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[コメント] 恋の門(2004/日)

強烈な劣等感と狂気を持つ男・松尾スズキ
Linus

2004年12月4日、大人計画の「イケニエの人」。そして、翌日の5日に「恋の門」を 観賞した。私は、大人計画でクドカンを好きになったが、 大人計画の「信者」ではない。でもって正直、演劇ファンでも映画オタクでもない。 よく、オタクと言われる人たちが、「○○って、××のオマージュだよね」とか、 「△△は、□□年にもうやってることでしょ」という会話を目にしたり耳にしたり すると、正直ちょっとサムイ。そんなこと、どーでもいいっしょ。 この作品が、あなたや私に強烈なインパクト(or何を思うか)を残せばさって感じである。

じゃぁ、何マニアなのかなぁ〜と考えると、個性的な人間にひきよせられて しまうのは確かである。まさに松尾スズキはその一人と言っても過言ではない。

大人計画の芝居を見るようになったのは、今から8年くらい前だから、 小劇団の中で上り調子の、演劇マニア的に言えば、一番イイ時期だったのだと思う。 演劇に関して、素人同然の私が断言してしまうのは申し訳ないが、 松尾スズキという男は、演劇界においてかなり異端だったのではないか?

私も学生時代、演劇をやっている人たちと接していたので、少しは情報を得て いたが、まぁ、東大、早稲田、慶応、明治、日芸あたりの出身者の演劇が人気だった。 でも、松尾スズキの出身校…。えっ、どこだっけ? である。 私が演劇を見るのに、ちょっと躊躇するのは、この品格にある気がする。 劇団主催者は、たいてい名の通った大学を中退もしくは卒業していて、 そりゃ、その大学ではアウトローだろうけど、結局演劇エリートのプライドに 重きを置いているんじゃないの? と突っ込みたくなるのである。意地悪ですね、私って…。

たぶん、演劇界という渦中にいた松尾スズキは、その演劇エリートたちの 無自覚な(本当は自覚している?)エリート意識に、ヒシヒシと劣等感を 感じていたのではないのだろうか? 確か大人計画は、松尾スズキが九州から上京して旗揚げし、初期は温水洋一など のメンバーがいて、その人たちが抜けて(あるいは前後して?)クドカン、 阿部サダヲが入って来たんじゃなかったっけ? 大人計画は、松尾さんだけ 40代で、看板役者の年齢がグッと下にさがるのである。

スクスクと劣等感を育てた松尾さん。たぶんこの劣等感は、演劇を始めたから 芽生えた物ではなく、もっともっと、過去に遡り、屈折に屈折を重ねて 出来上がった物なのだろう。

さて、ここでオタクと呼ばれる人たちの登場でーす。ジャーン!!

いったい、そんな無意味な知識をつめこんで、社会的になんかメリットあんの? と突っ込むのはやめて下さい。「萎えー」となっちゃいます。

あんまり2ch用語というのは、個人的に好きな言葉じゃないし、全然ネコの絵も 可愛くないし(これ結構重要)、「死ね」を「氏ね」と書いたところで意味柔らかくなってねーよと思うし、「キモイ」「ウザイ」って、ボキャブラリーそれしかないのか? と突っ込みたくなるし、知らない人に「お前」呼ばわりされるのって超ムカ つくんですけどーって感じだし、(笑)を「W(ダブル)」に変換するのは、 やめてぇーと気が狂いそうになるんだけど、「恋の門」は、かなりオタク=2ちゃねらーを意識している。 というか、あの巨大掲示板は、もう細分化された趣味の人たちのコミュニティに なってしまったのは事実である。で、たまにROMして強烈に感じるのは、「劣等感」で ある。そんなこと知っていて、だからなんなの? という気持ちになったことは ないか? なんで、こんなに世界は悪意に満ちているんだ? と。いや、俯瞰した 立場で物を書くのはよそう。劣等感が、狂気につながり、悪循環にループして しまう場所は、楽しい娯楽にもなりえるのだ。そして「ハーイ! 優しさを越えると 書いて優・越・感と読みます(だっけ?)」と金八先生風な台詞が「イケニエの人」に あったけど、無自覚な優越感を、現実社会で感じれば感じるほど、劣等感はネットの世界に逃げこむのである。これこそ現代の闇だ! なんて「真剣10代しゃべり場」みたいなことは言わないよ。だって、私、もう大人だもん。

ただ、この劣等感が増幅されている現代において、松尾スズキの作り上げる作品世界は ビンゴなのである。うまいなぁ〜と感心させられる。松尾さん、コンプレックス 持ってて良かったね、である。たぶんエリートだったら、作れない世界であろう。 挫折を知っていてこその屈折である。

もちろん松尾スズキが天才(狂人)的だから、「コンプレックスとマイノリティの 行き場のない感情」を作品世界に投影できるのだろうし、もっと書いてしまうと、 大人計画の劇団員が、この天才(狂人)に異化作用をもたらしたのは言うまでもない。 贔屓目なのは確かだが、クドカンの天真爛漫さ。クドカンはあまり挫折らしい 挫折をしてないと思う。イイ家の子に生まれ、ルックスだって悪くないし、 頭も良いし、面白いし…。しかもポンポンと出世できてしまった。 だからクドカン作品には良くも悪しくも毒はない。 この屈託のなさが、松尾スズキの屈折を半回転してたトコをさらに180度グルリと 回して、本当は1つねじれているんだけど、見た目には真直ぐ伸びているように見えるような、大衆受け(エンターテイメント)作品にしたと思えるのだ。 あとはサダヲくん。天性のパフォーマー。 身体能力が抜群にイイ。この役者をどれだけ料理できるかが腕の見せ所だなぁ、と 狂人(松尾スズキ)は、考えたんじゃないのだろうか?

たぶん、松尾スズキという人は、社会的には劣等感を抱えたダメ人間の マイノリティで終わってしまう可能性大だったかもしれないが、 「面白いモノ」を追求し、それらを抱えた人間を描くことで、商品に高めて しまった希有な作家なのだなぁ、と2日間の松尾ちゃんDAYを通して、ふと考えさせられたのでした。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ina すやすや[*]

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