[あらすじ] 広島長崎における原子爆弾の影響(1946/日)
理化学研究所の仁科芳雄らの働きかけで設立された「原子爆弾災害調査研究特別委員会」の調査研究の一環として、日本映画社が1945年9月から約8ヶ月掛けて製作。長崎を撮影中に突如GHQの妨害に遭い、撮影は一旦中止となったが、その後アメリカ戦略爆撃調査団(USSBS)の委嘱という形で製作が継続された。1946年4月に英語版2時間44分が完成すると全ての撮影資料の提出を義務づけられ、米国に持ち去られてしまった。その時点では日本語版はない。返還されたのは1967年以降である。◆ 1952年の占領終結(講和)後より密かに複写隠匿されていたフィルムの抜粋が上映されるようになり、大反響となる。1968年米国にフィルムの返還を請求し日本語版の製作がなされたが、それは人体への被害に言及した約15分をカットしたものだった。日本映画社スタッフの証言によりカットが明らかとなり全面返還要求がなされた後、1987年に16mmフィルムで文部省に返還された。その後1996年になって、「平和博物館を創る会」の製作という形で漸く日本語完全版が完成した。◆ 全映像資料は、物理学篇・生物学篇・医学篇などに章立てられており、全19巻ある。亀井文夫の『生きていてよかった』('56)やスウェーデン映画『戦争の顔』に一部が使用されている。別資料によると『永遠の平和を』、アラン=レネの『二十四時間の情事』にも使われたという。◆ 日本人による映画フィルム撮影は、実は被爆数日後より一部で開始されていたが、矢張り米軍の没収に遭い、こちらは完全に「幻のフィルム」となっている。◆ 詳細な制作スタッフについては手元に資料がなく不明であり補足を願う。追補参考1:http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27355 によると、製作の相原秀次は「物理班」を指揮し編集も行なった。英語ナレーションは島内敏郎(内務省情報官)。◆ IMDb (www.imdb.com/title/tt2093254/?ref_=fn_al_tt_1)では、英語題は「The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki」となっている(←35mmのカラー版が存在?)が、リクエスト時に資料を調べた時には定冠詞はついてなかったと記憶する。参考2:www.optical.jp/dvd/peace.php (←広島と長崎の間に<・>アリ)
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