[あらすじ] 13デイズ(2000/米)
1962年10月16日。11月の中間選挙対策に追われるケニーの前に、国家安全保障問題担当・特別補佐官マクジョージ・バンディが深刻な顔で現れる。二日前、偵察機がキューバ上空から撮影した写真に弾道ミサイルが確認されたのだ。大統領は直ちに閣僚を招集。マックスウェル・テイラー統合参謀本部議長、ロバート・マクナマラ国防長官らは、ミサイルが実戦配備される前に空爆を行うべきと主張。全世界が核戦争の危機にさらされた悪夢の13日間がこうして始まった。 大統領は第3次世界大戦に直結する空爆は避けたかった。彼が本音を打ち明けられるのは弟のボビーことロバート・ケネディ司法長官と親友のケニーだけだった。ボビーは国家安全保障会議執行委員会、通称エクスコム(ExCOM)を設置し、空爆以外の最善の手を探らせる事にする。同日夜のエクスコム会議で軍部はキューバ侵攻にまで意見をエスカレートさせる。元国務長官アチソンもこれを支持し、代案のない大統領は苦境に立たされる。翌17日、大統領は国民を刺激しないよう予定通り遊説に旅立つが、ボビーがマクナマラから海上封鎖案を引き出す。 10月18日。空爆を迫る軍部を退けた大統領は、国連総会のため訪米したソ連外相グロムイコと会談するが、外相はミサイルの存在を否定する従来の主張を繰り返すのみ。一方ケニーは軍の動きに不審を抱き始めたマスコミの追及を受け、危機感を募らせる。だが翌19日、ボビーからエクスコムが海上封鎖で合意したと連絡が入り、彼はひとまず胸をなでおろす。 10月20日。遊説予定をキャンセルした大統領がエクスコムに出席。封鎖ではキューバのミサイルを排除できないため、トルコに配備されているミサイルの撤去を取引材料にする宥和案がスチーブンソン国連大使から出されるが、大統領はこの案を見送り、空爆か封鎖かを22日夜にテレビ発表すると述べる。 10月22日。大統領の疲労と緊張は限界に達していた。議員たちが封鎖に反対している事が彼の自信をぐらつかせていた。「国民はきっとあなたについてくる」。ケニーのひと事で大統領は腹をくくる。19時、大統領は海上封鎖実施を発表。 10月23日。ケニーは、キューバへの低空偵察飛行実施の裏に開戦派の軍部の思惑があると看破。もし偵察機が撃墜されれば大統領は報復措置を取らざるを得ない。その事態を避けるため、ケニーは偵察作戦指揮官エッカーに直に電話をかけて事情を説明。納得したエッカーは無事任務を完遂し、対空砲で被弾した事実も統合本部に隠し通す。同日、大統領は海上封鎖宣言書に署名。明朝、封鎖が始まった時、何が起きるかは誰にもわからなかった。その夜ケニーはヘレンに万一に備え避難準備を整えるよう伝えると、ひとり街に出て核戦争の恐怖に脅える人々と祈りを共にした。 10月24日。海上封鎖発動。大統領とボビーは宥和案をマスコミにながし、世論の反応を探る事にする。翌日、新聞を見て驚いたバンディがケニーのもとを訪れ、ケネディ兄弟の弱腰を批判。ケニーは彼らを弁護するが、情報漏洩が自分抜きで決められた事に内心不満を抱いていた。ケニーとボビーは国連安保理事会でのスチーブンソン続投をめぐっても対立。 そのスチーブンソンはケニーの期待に応え、ミサイル存在の証拠写真を突き付けるという強い態度でソ連大使に迫り、ソ連の不当さを印象づける事に成功する。 10月26日。マクナマラと海軍が一触即発の海上封鎖に神経をすり減らしている頃、ケニーはABCの記者から、KGBのエージェントが妥協案を伝えてきたという情報を得る。米国がキューバに侵攻しない確約をすればキューバのミサイルを撤去するという内容だ。27日未明にはこの打診を裏付けるようなフルシチョフ首相の電文が届き、事態は解決に向かい始めたかに見えた。だがその後、トルコにおけるNATO軍のミサイル撤去を求める第二の電文が届き、一同は困惑する……。
(kenjiban)
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