[コメント] トーク・トゥ・ハー(2002/スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ベニグノ(ハビエル・カマラ)の病的なほどの愛もさることながら、負の方向へ吸い寄せられ彷徨い続けるマルコ(ダリオ・グランディネッティ)という男の愛に、永遠に満たされないであろう彼の倒錯と悲しみをみた。
マルコは、男に捨てられた女闘牛士リディア(ロサリオ・フローレス)の頑なさにのなかに、秘められた深い悲しみを本能的に見い出し惹かれていく。そして彼もまた、愛を注いだ恋人との決別の悲しみのなかにいることが明かされる。相手は歳の離れたまだ娘のような薬物中毒の女であり、彼は薬から彼女を救うためにともに暮らしていたようだ。マルコは、ある種の「傷」に愛を見い出す男なのだ。
一方、看護士ベニグノは「傷」、つまり悲しみ対して鈍感な男だ。長年に渡った母の介護という、一方的で物理的な行為の永続が、彼の悲しみを麻痺させてしまったのだろう。ベニグノは悲しみという感情を献身を通じて欠落させた、あるいはそうしなければ生きてこれなかった男であり、マルコは悲しみを媒介とし相手とかかわり、そこに愛を見い出しながら生きる男なのだ。昏睡状態の恋人を持つ同じ境遇にありながら、嬉々として日々を過ごすベニグノが、マルコに理解できるはずはない。
マルコは、ベニグノが昏睡状態のアリシア(レオノール・ワトリング)と引き裂かれたとき、はじめてベニグノを理解した。もちろんそれは、彼がアリシアにした行為を理解したのではないし、彼を擁護する目的でもない。愛すべき対象から引き離されたベニグノの壮絶な悲しみに、マルコは心を動かされたのだ。マルコはこの世を去ったベニグノの部屋で、マルコが試みたのは彼の悲しみの共有なのだ。
最後に、マルコと昏睡から目覚めたアリシアの行く末が暗示される。アリシアもまた傷を負った身であり、マルコにとっては愛しく魅力的な境遇の女なのだ。「傷」に愛を見い出す男にとって、「傷」が癒えたときが別離のときだ。別離は当然、互いを傷つける。求めれば求めるほど、自分が傷つき続ける人生をいきるなんて、何と倒錯した悲しい男の映画だろうか。
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