[コメント] でんきくらげ(1970/日)
もう知らない内に(ウソ。充分意識しながらだが)、渥美マリの乳首が見えるか見えないかが、ずっと気になってしまう、という意味です。そういう観点で云うと、多分、最も重要な場面と云っても過言でない、彼女が赤いバスタオルだけを腰に巻いて寝て、西村晃が撫でまわすようにマッサージするところから始まるシーンは、ちょっとヒドイ!どう考えても不自然なほど、自身の腕で胸を隠すのだ。この状況でその所作の演出は、全然リアルでない!と思いながら、でもこれは、乳首探しゲームなのだから、不本意ながら許す、という思いで見た。さらに、フラストレーションを吹き飛ばしてくれると期待した、待ちに待った川津祐介とのベッドシーンに関しても、こゝは流石にチラチラと見せてはくれますが、もっとバーン!と見せてくれよ!と思ったのだ。ただし、回転ベッドの回転スピードがどんどん速くなる演出は面白い!これってリアルじゃなくて隠喩(イメージ表現)でしょう。
さて、本作でも増村の演出基調で一番目を引くのは、複数人物を画面に入れ込んだ上での切り返しの多用だ。つまり、2人あるいは3人での会話シーンでは、全員(2人あるいは3人)が画面に映っていて(当然、一部は背中や肩が映る)、1人だけを(例えば主人公の渥美だけを)バストショットなどで抜いて挿入しない、ということだ。また、このルールの中で、カメラ位置を180度置換したショットを繋ぐ。それもバンバンやっている。これにより、いわゆる軸線(会話軸、イマジナリーライン)を飛び越えた繋ぎになるが、このカッティングが非情なテンションを生むことに寄与しているだろう。いや単純に編集が面白くて仕方がない。
あと、プロット展開やキャラ造型については、いくなんでも通俗的過ぎるだろうと思わせられるもので、確かに高く評価する気になれない人も多くいることが推察できる。しかし、登場人物が皆、素直な素直な造型であることも、増村の特徴の一つだと思うし、その良さも感じられるのだ。例えば、渥美の母親への思い。最後まで、お母ちゃんのおかげ、お母ちゃんはいい人、という渥美。あるいは、渥美は登場間もなく友人たち(洋裁学校の同級生か)に、男なんてキライ、と云い、その発言はラストの身の振りようにまで一貫しているじゃないか。他にも、母親−根岸明美やその内縁の夫−玉川良一の極めて単純な造型もそうだし(本当に大映テレビみたい)、渥美が玉川からされたことをすぐに母親の根岸に話すという展開もそう。渥美の周りだでけなく、川津だって、恋人(銀座のクラブのママ)−真山知子に渥美のポーカーの件を話す際は、とても素直な科白だと思う。こういったキャラ造型や強い語気のディレクションも相俟って、非現実的な、人間離れしたと云ってもいいぐらいの強いドラマが創造されており、それこそが、増村のやりたかったことだろう。勿論(当然ながら)、人によって好悪は分かれる(分かれやすい)と思う。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・母親−根岸の友人で、バー「タッチ」(おさわりバー)のママは中原早苗。「タッチ」の客で渥美にプロポーズするのは青山良彦。
・渥美を無理やり自分の女にしようとするヤクザに木村元。その舎弟は平泉征。
・銀座のクラブ「桐」のホステスには、笠原玲子や八代順子がいる。「桐」で渥美とポーカーをする最初の客は永井智雄。他に早川雄三。刑事が入って来る場面でのポーカーの相手は中田勉。刑事は小山内淳と仲村隆。
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