[コメント] 続・忍びの者(1963/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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忍びの者としての過酷な運命を描いた前作『忍びの者』は重厚にして、権力に押しつぶされる庶民の姿を忍者を通して見事に描いていた。流石社会派山本監督。一筋縄ではいかない物語と感心していたのだが、続けて続編の本作を観て、もうそんなレベルではない。感心を通り越して感動を覚えるほど。一作目は闇の者としての忍者の存在を、失敗した任務として描いていたのだが、こちらは歴史に関わる物語の裏で暗躍する忍者の姿として、今度は成功物語として描いている。
物語も良い。この話ではキー・パーソンとして服部半蔵が現れるが、同じ伊賀の者として、五右衛門を手助けするように前半部分で見せておいて、その裏が徐々に分かってくる訳だが、最初良い人だと思ってたのに、徐々に怖くなっていく。半蔵がやってることは全て秀吉を利することばかりで、てっきり秀吉配下の素破と思わせておいて、最後の最後にどんでん返しで、実は…という展開が上手い具合に機能してる。
勿論歴史を知ってると服部半蔵が誰の配下であるかは分かってしまう訳だが、それでも途中までは結構そのまま騙されてしまう。良い具合にどんでん返しの作品としても観られる。
「一人や二人の忍者がこの世を動かす時代は終わった」。まさにその通り。時代の激変の時代に生き、そして死んだ石川五右衛門の生き様が見事だった。
そして本作をユニークたらしめているのは設定部分。
基本的に忍者としては一流であっても、発想は人並み(あるいはそれ以下)の忍者は、結局権力者によって翻弄されるばかり。自分で正義を行っていると思っていながら、その正義も又、人から与えられた考えに過ぎない。それが忍者という存在とされているのだが、これは普通の人だったら誰でもそうである。
だから、本作はいわゆる一般人に対して、これが私たちの生きている時代の似姿であるという事を語る、いわば社会派問題を語る作品でもある。ここに登場する五右衛門は、誰でもなり得る立場であり、それに翻弄されている、視聴者に対する警告でもあるのだ。
まさしくこれこそが山本監督が得意とする社会派作品の真骨頂であるとも言える。娯楽作品でありつつ、社会派作品を忘れていない監督の魅力が詰まった作品として楽しめる作品となってる。
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