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[コメント] きれいなおかあさん(1999/中国)

補聴器一組:5000元

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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補聴器一組:5000元

非合法露天商で売っていた雑誌一冊:25元

新聞配達の時給:5元

ちょっとこんなところが気になる…というよりは、少しはそんなところも気にして欲しい…という映画(脚本)なのかも。外資系企業の工場で真面目に働いていた母親は、手の掛かる息子に付き添っていられるように、露天商→新聞配達→家政婦へと仕事を変えていく。家政婦の勤め先で主人の金満オヤジにあやうく操を奪われそうになりつつも懸命に反撃、こころ傷付きながらもしっかり金をふんだくり啖呵を吐いて逃げ去る「おかあさん」は、逞しい。だがその反面、別れた夫にそれでも情が残っていたり、息子の先生に泣き付いてみたり、ひとりきりで頑張りながらもどこかで頼るものを欲していそうな「おかあさん」がいじらしくもある。(久し振りの同窓会に出席するためにめかし込み、鏡を覗き込むその顔は何気に女の子のように無邪気にあどけない顔をしていて、まことに「きれいなおかあさん」。手土産の酒を新聞紙で包むその仕草もどことなく懐かしく、愛らしい。)

障害のある子を産んでしまったことを「自分の失敗」と悔やんでいる母親。その悩みは我が子に対する母親特有の傲慢な決め付けから発しているようにも思えるが、それは我が子を己の分身である(と感じる)が故に愛する母親らしい感覚と表裏一体のものでもある。母子家庭の母と幼い息子の擦れ違う遣り取りはまるで恋人同士のそれのようにも見えてくるかもしれないが、だとしてもそれは不思議なことではない。御互い他に頼るものがなく身を寄せ合いながら一対一で向き合わざるをえないという意味では、それはよく似ている。そんなところから言えば、母子家庭は本来「家庭」ではないのだ、とも言えるかもしれない。そこには父親のような第三者的な介入者が不在で、母子の間にも「家庭」と呼べるだけの距離感がなく、良くも悪くも密接した母子"関係"に拘束されることになる。それ故そんな母子"関係"のありかたに共感を覚えない観客は、あるいはこの映画を観ても入り込みにくいと感じるかもしれない。この映画の軸となる“リアリティ”は、結局コン・リーカオ・ジン演じるところの母子の"関係"にあるから。そんな母子の"関係"が現代中国社会の現実の中で揉まれつつ、絆をより良い方向へ強める御話だとするならば、この映画はむしろシンプルに小気味よく纏まっていると言えるのではあるまいか。

ちなみに言えば、この映画は母子とその周囲の人間達の向こうに新しいものと古いものが混在する現在の北京(とは言っても1999年ではあるが…)をそれとなく映し出してもいる。父子が会話するその遠景に聳え立つ現代的なビル群、非合法の露天商が猥雑に店を並べる地下歩道、母子が乗る三輪自転車が駆け抜ける朝の天安門広場、ふたりが住んでいる楼閣が遠景に見える長屋の路地、そして息子が通うことになる小学校の壁面には上を向く少年少女の横顔と共に「面向未来」の文字……。それは、もう「国際派」として認知されているのであろうコン・リーを主演に起用していたり、予め英語のタイトルとスタッフロールが用意してあるところからも窺えるように、この映画が“海外向け”の作品であるということなのかもしれない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)にゃんこ[*] sawa:38[*]

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