[コメント] 友だちのうちはどこ?(1987/イラン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
『運動靴と赤い金魚』などとも相通じる朴訥な語り口は,なかなか良かったと思う。特に,BGMがほとんど使われていないため,ロバの鳴らす鈴の音や風の音などが本当に新鮮に聞こえる(おそらく,これは意図してやっているのではないかもしれないが…)。
コメントに書いた疑問とは,次の二つです(一つ目は、映画そのものに対する疑問ではありませんが…)。
1.イランの教育観について
この映画では,主人公の祖父や母親,学校の先生が子供にとても厳しく,例えば,3回言っても聞かないと,実に厳しい罰を与える。確かに厳しくしつけることは必要だし,親や先生の言うことは素直に聞くべきだと思うが,「子供が過ちを犯していないときでも,叱るべき」「(内容の是非にかかわらず)目上の人の言うことを聞け」という祖父の教えは,行き過ぎだと思う。
この映画は,イラン児童青年知育協会の下で作られたようだが,こうした教えはイランの一般的な教育観なのだろうか? 今の日本は,家庭も学校も子供を甘やかし過ぎだと思うが,イランの教育観はその対極にあると思う。
もちろん,イランでは,子供がいろいろ手伝いをしなければならないくらい貧しい家が多いようだし,物質的な豊かさは日本とは比べものにならないだろう。しかし,この作品の子供たちにしても,『運動靴と赤い金魚』の兄妹にしても,気のせいかどことなく元気がなく,あまり溌剌としていないように見える。それは,あるいは生活の貧しさとか,宗教や文化の違いから来るのかもしれないが。ただ,この作品の主人公にしても,言うべきときにモジモジしていて言えなかったために無駄な行動をとるはめになった場面が何度かあったが,こうした子供たちの態度と必要以上に厳しいしつけとの間には,やはり相関関係があるのではないだろうか?
2.地理感覚について
冒頭の学校のシーンや母親のセリフなどを聞いていると,主人公がノートを届けに行く隣村はものすごく遠くにあるように見える。しかし,主人公は結局,学校から帰ってから家の手伝いをした後,この隣村まで2往復するのである(さすがに2回目の帰路は夜になってしまうが,これも遠いからではなく,友達の家がわからず探していたためだろう)。しかも,ずっと走っていったらしい。帰りが夜になってしまっても,それでも子供1人で何事もなかったかのように無事に到着している。
また,別の友達(友達の家を知っている彼のいとこ)の父子が5分前に主人公の村へ出発したと聞いて,主人公は走って追いかけて行くのだが,これが追いつけないのである(向こうの丘を登っていく父子の姿が見えているのに…である)。
とすると,この隣村と主人公の村とは,実はかなり近いのではないか?と思えてくる。隣村に行くシーンの描写を観ても,遠いところに苦労してたどり着くという感じではぜんぜんなく,ひとっ走りしてすぐに着いてしまうという感じだし…。
この「結構近いんじゃないか?」という疑念は,一見些細なことのようだが,この作品のポイントの一つである「友達の家がわからないうちに日が暮れてしまう心細さ」をやや相殺しているようにも思えるのだが…。
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