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[コメント] ねむの木の詩(1974/日)

笑顔の弾ける傑作。本作を観たあと、私は肢体不自由児の歩き方が愛おしくて仕方なくなった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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脳症の後遺症で脚が不自由なヤッコちゃん。この子が可愛い。いい笑顔している。アキレス腱の延長手術に宮城は付き添う(彼女は全く映らない)。この第1作ではこの件でだけソフトフォーカスを試している。ナレーションで宮城は怖くないと繰り返し、呼吸器つけてスパスパ云うとスーパーマンになれるのだと励ます。定期健診では笑いながら歩いて見せるのに、運動会の宣誓ではできないと泣き出してしまう。先生にリードされて泣きながら宣誓。キミに必要なのは勇気だと宮城は叱る。実際にこの運動会は過酷で、肢体不自由児たちは一番低い平均台の下を障害競走で潜らされるのだが、このとき運動場はハケ悪くほとんど泥濘なのだ。キャメラはこの様をじっと撮り続けている。ヤッコちゃんはこの運動会で杖を使わず自信を得たと宮城は報告する。

この自分で頑張れというスタンスは、ひとり歩行訓練する少年を捉えたリハビリなどでも踏襲される。当然だが、教育方針は、みんな一斉にゴールする運動会みたいなものとは一線を画している。クライマックスの「砂丘登り訓練」にもこれは共通している。海際からビル3階ほどの頂上まで肢体不自由児は登らされる。できる子はさっさと登り、できない子はまるで登れずいつまでも海際でぐるぐる回っている。先生はガンバれと云うばかりで殆ど手伝わない(最後は子供たちが手伝うが)。キャメラは長回しで彼等を撮り続ける。この呼吸が素晴らしいのだ。子供たちのもう諦めたから許してくれという表情をキャメラは黙って撮り続ける。子供はいつまでも終わらないから仕方なしにまた頑張る。もう諦めたから判ってくれよという負の訴えを先生もキャメラも無視するのだ。時間はいくらでもあるよと。砂丘の天辺から海が見える。少年はちばてつやの漫画のような、信じられないほどいい笑顔を見せる。この笑顔だけで本作は傑作だろう(この子は父が被爆者の脳性マヒ児と紹介された子だっただろうか)。

そういうシビアな件もありつつ、宮城の唄をバックにした陽気な件も多い。クリスマスの件など見ると、教員たちの献身はやはりキリスト教的なバックボーンを感じる。登校、車椅子のままのラジオ体操、授業、機能訓練、遠足、寮で風呂、夜は館内放送で読み聞かせ、夜尿起こし。

本作に特徴的なのは、教員も児童も実名入りで登場するのに、保護者がほとんど登場しないこと(運動会の綱引きぐらいか)。いろんな事情があるのかも知れないが、子供たちは社会的な存在だという映画の主張のためと思われた。立派な学園だが、どこまで保護者の負担でどこまで行政の支援なのだろう。このような教育が公平に受けられたらいいのにと思う。

(評価:★5)

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