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[コメント] 阿弥陀堂だより(2002/日)

自然と空想。
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







評価は迷った。 見方によれば、かなり出来のいい映画なのかも しれないのである。見た後、数日たって、それが分かる。

一見、安直な映画に感じる。 「大自然の癒しを描いた作品」といえば、 キャッチフレーズだけが先行した、それだけの映画に感じるが、 実際にそれだけの映画だけなのかもしれないのである。

特に子供たちの描写はひどかった。 いくらなんでも、あんな理想化された 子供像は・・・ 子供って実は、大人の前で子供を演じているところのある、 恐ろしさを内在しているはずだから。

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しかし、別の観点では、いろいろ面白いところが見えてくる。

個人的に、関心をもったのは、信濃路の石仏群である。 石仏を映した映像がところどころに見られる。 「如意輪観音」のような官能的な観音さまが祀られていたり。

最後の踊りのシーン。 盆の老婆たちの儀式のシーン。

美しい自然の映像ばかり映し出しているように見えるが、ところどころで、 生々しい人間の情念を映し出している。

こういう細かい眼差しに眼を向けると、安易さの裏に、作り手の細やかな 感性を感じることができる。

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私たちは、簡単に「自然の癒し」などというけれど、こういう言葉は 警戒しなければならない。なぜなら、人工や都会に対する自然という形で 自然を、一種の「物」としてあつかっているからである。

でも本当の自然はそんなものではない。自然は、人間の理性を 越えた作用力の総称にほかならないからである。だから都会にだって 自然はいたるところにある。人間自体が一種の自然だ。

それだけに人間が自然を撮ろうとするとき、自然を単なる対象にしてしまうと、 つまらない映像しか撮れないのであろう。この作品にも、そういう危険はついてまわ っている。 その一方で、そこに感化された人間の空想を描き出す視線ももっている。 それが、この作品をたんなる駄作になることから、救い出しているように思う。

蛇足ながら、この映画の小西真奈美、北林谷栄はいい。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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