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[コメント] お吟さま(1962/日)

デウスVS有馬の闘いはワンサイドゲームで仲代は途中退場して何のフォローもないのでは余りにもお座なり。そして対秀吉が既定路線ではお話にならない。敵役は秀吉勢ではなくキリスト教でなければならなかった。失敗作。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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利休の娘、吟有馬稲子のキリシタン大名高山右近仲代達矢への片想い、女の意地を主題としたはずだろう。仲代は利休の弟子で幼馴染、有馬は惚れていたが仲代は他の女(何とも語られない)と結婚してしまう。再会して堺の商人との縁談があると云う有馬に仲代「ご良縁と存ずる」「行くなというお言葉をいただきたい。女の命を賭けて操を尽くします」「命はデウスに捧げてこそ。地上の愛はアクマの仕業」。酷いと泣く有馬は嫁ぎ先の伊藤久哉に「女は一人の男しか愛さない」と肌を触れさせない。伊藤は策略巡らす厭な人物だが、同情してしまう。最後は石田三成南原宏治に使い捨てられるし。

有馬と仲代は、亭主らにハメられて偽手紙で密会した所を狙われ(仲代はキリスト教信仰により追放されているし不義密通の時代)、裏山から雨の山小屋に逃げ、有馬の足の傷を仲代がエロく治療して、有馬は地獄に堕ちている(亭主も可哀想とフォローしているのが好感)と仲代を詰る。ここで何と仲代は、有馬を愛しく思っている、妻は死んだと告白して同衾。「右近様はデウス様のものではなく吟のもの」と有馬は勝利を宣誓する。

しかしこの愛は、アクマの仕業ではなかったのだろうか。かの高山右近の信仰はこんなものなのか。少しぐらい弁明しろよ、何という腰抜けだろうとブーイングせざるを得ない展開であり、しかも以降、仲代は加賀に引っ込んで登場せず、何の省察も煩悶も云い訳も描写されないのだった。これではいかんだろう。物語が破けている。

終盤は秀吉滝沢修の側室になれとの申し出断り有馬は自害に向かうという、秀吉の勝は史実に沿えば始まる前から判っている収束。ただ滅びの姿がそれなりに描かれて終わる。吟という利休の娘は実在したが本作は全くの虚構だが、キリシタン大名のバテレン追放令による抑圧や、南蛮貿易で利を上げていた自由都市堺への圧政(堀が埋め立てられたと云われている)など、周辺事情は当然ながら史実に沿っている。利休の自害の理由は諸説ある処。

映像は冒頭や船上での茶会の空や海や川のいろんな青が美しい。蝋燭の明滅における照明の鮮やかさも印象的だが、日中のセットの照明は比べて意外にも平凡。衣装は豪華で、序盤の有馬の信号機みたいな三色のお召し物がとてもポップ。この辺りにミゾグチ譲りの主張があるのだろう。有馬の固い造形はこの殆ど神懸かりな人物像に相性が良く、画面ではどうしても柔らかくなる田中絹代は自分にない個性を尊んだだろう。有馬の付き人の若い頃の富士真奈美が可愛く、柔らかい造形でいい有馬と対照を示している。彼女は若い頃は馬渕晴子・小林千登勢と並んでNHK三人娘と呼ばれた由。

(評価:★3)

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