[コメント] ガイア・ガールズ(2000/英)
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女子プロレスという世界は現在の日本の中でも飛び抜けて特殊な集団だ。これが男子プロレスであれば、善くも悪くも「豪放磊落」という言葉で括れるような、一種の体育会系男集団としてカテゴライズすることができる。ところが女子にはこの「だらしなさや無茶苦茶さ(業界用語で言うところの“トンパチ”)を以て美徳と為す」と言った視点が極端に少ない。それは女子特有のヒロイズムから来るものであり、また同時にその選手生命の短さ(女子プロレスではある時期まで25歳定年制が敷かれていた)から来るものだと思う。限られた時間の中で己が持つ最大限の輝きを放とうとする彼女たちは、時として一種宗教団体的なストイックさを持って日々を送ることとなる。
今作で描かれるGAEA JAPANという団体は、そんな女子プロレス界の中でも更に頭一つ飛び出したような宗教色の強い団体だった。それはこの団体が“唯一神”たる長与千種によって設立された団体であり、彼女の遺伝子を残すことのみをその目的としたカリスマ集団だったからだ。変な話、僕のように長与信仰を持たないプロレスファンにとっては、ちょっと敷居の高い団体でさえあった。
「クラッシュ・ギャルズの片方」として一般にも名を知られる長与千種だが、この人の女子プロレスラーとしての才能や革新性、そして何よりパフォーマンス技術というのは他に類を見ない。この人以降の選手でここに比肩できるのは「佐々木健介の嫁」北斗晶くらいのものだと思う。本作の長与の喋りからもそれは充分に見て取ることができる。長与はいつも大人げなく、しかもやたらと芝居がかった喋りをする。そしてその自分の姿に一遍の疑いも抱いていない。興味のない人からすれば「何だこれ気持ち悪い」で終わるような話だが、これこそがアジテーターとしての長与の才であり、女子プロレス界を席巻したこのGAEAという団体を率い続けたカリスマの源なんだ。
そして長与の隣にはいつも団体代表である杉山由果がいる。これはカリスマ指導者の横に冷徹なる宰相がいるようなもので、長与のビジネス面における経験不足を補佐する役割を担っている。だからというわけでもないが、所謂「女社長」のイヤな面を煮詰めたみたいな存在で、これがまたこの映画の深みを増している。
作品の主人公的ポジションである竹内彩夏は、「目標とする選手は?」の問いに、迷いなく「長与千種選手です」と答える。これは途中で逃げてしまった若林や佐藤も同じだったであろうと思う。彼女らは自分が長与千種になれると信じた。その信じる気持ちの強さが、この過酷な環境を乗り越えるための第一関門ということだ。信じ続けた竹内はデビューの夢を叶え、気持ちを揺らがせてしまった若林たちは道場を去ることになる。これは正に信仰の力だ。しかしこの世界は信仰だけで上がって行けるほど甘い世界ではない。竹内はこの二年後には団体を去ることとなる。信仰を以て上ったリングには、今度は才能という新しい関門が控えている。
結果的に、二期生である広田さくら(彼女は後に一級のイロモノ選手として名を馳せることになる。これだけの過酷な環境を経てイロモノに辿り着くのもまたスゴい)以降の選手が育たなかったことは、この「信仰と才能」の限界を示すものだと思う。長与直属で育てられた一期生たちは才能をカバーできるだけの信仰を有し、その一期生らに育てられた三期以降の選手たちは皆志半ばでリングを去った。結局のところ、カリスマなんて人づてには伝えられないものなんだろう。
竹内のデビュー戦の相手を務める里村芽衣子は、この「信仰と才能」を完全に備えた“長与千種の後継者”だった。作中で彼女から放たれるストイックなオーラは、時として狂信的ですらある。彼女は現在「仙台女子プロレス」という日本初の地方女子プロレス団体を旗揚げし、ひたすら後進の育成に努めている。長与のカリスマを継ぐ者として、その遺伝子を更なる次代に繋ぐ。その狂気とも呼べる純粋さや、伝道者としてのカリスマの萌芽は、本作の時点でも明確に見ることができる。これだけ実力のある選手が揃っていたGAEAでさえ、ここに辿り着けたのは里村ただ一人だったんだ。
間違いのないように書いておきたいが、別に女子プロレスの全部が全部こういう団体なわけじゃない。ここが特出してるんだ。長与の引退と同時に団体が発展的解消を遂げてしまったこともその証しだ。プロレス界にありがちな黒社会との繋がりも非常に希薄で、また分裂や移籍などもほとんどなかった。その姿はちょっと十字軍のようだったと思う。撮影中、里村は撮影スタッフから「あななたちのやっていることは判らない!」と言われたそうだ。最終的に竹内のデビュー戦で「やっと判ったよ!」と言ってもらえたらしいが、これは要するに信仰の一端に触れてしまったってことなんだろう。ただ女子プロレスという世界の原動力は多かれ少なかれこの部分にあり、ここまでではないにせよ皆同じような信仰を以て業界を回している。だからこそ彼女たちはさして日も当たらぬ世界で体を虐め、バイトを続け、普通の幸せさえ捨て去って暮らしているわけで、その一側面のドキュメンタリーとしては最高に面白い映画だったと思う。「輝きたい」という一点のみで激痛に身を投じる娘のデビュー戦を見守る母の表情、これが何より雄弁で心を動かされた。
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