[コメント] 喜劇 女生きてます(1971/日)
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本作も河原者直系(ストリップは無論、芸能である)のアジールという森崎固有の世界。置屋の没落を撮り続けたミゾグチやナルセの方法論を反転させ、ここに一瞬のユートピアを見ようとする主題が踏襲される(個人主義的なロマンポルノは似て非なるものだ)。無論、虚構であるが、現実への示唆に富んでいる。
本作はシリーズの一篇ゆえ、このアジールに発端も結末も示されないのに独自性がある。避難所は淡々と運用されており、左幸子はこの団体行動のために駆け回る。出て行く娘を嘆くが無言で送り出す。冒頭の大阪の虐待労働でもって、別にこれは普遍的な事態ではないと断りを入れる。
抜群の描写が二箇所あり、ひとつは吉田日出子と藤岡琢也の、餅つきのように合いの手をふたりで掛け合う同衾で、正に「人のセックスを笑うな」の感がある。その他待合所での女たちの垣根の低い下ネタの連発(「鶏の小便は厭ですね」等)も理想郷を演出しており、朝トルコ専門で店の女を相手にしない森繁久彌の距離感がアジールを成立させている。
もうひとつは橋本功の待合所破壊。森崎の十八番であるが彼の映画のなかでもトップクラスだろう、安普請の日本家屋を生かし切っており、これほどの破壊を私は映画で観たことがない。その他も橋本の喧嘩の件は全部いい。養護施設での安田道代と手を繋いだ写真の件のベタさも突き抜けている。
橋本は東映任侠もののパロディだろう。全共闘に(出鱈目にせよ)支持されたその心情世界をアジールに取り込もうと森崎は試み、最後のインターナショナル唱和に至る(冒頭部分しか繰り返されないのに含みがあるだろう)。それは別に何も上手くいっていないが、闇雲な盛り上がりのなかで一瞬の同調が確かに示されている。翌日になったら消え去るような理想だが、確かに理想は成立している。そこから先を考えるのはあんただと、映画は観客を突き放す。
吉田日出子が最初に長広舌で開陳する「あと百年で地球に空気がなくなる」説は、地球温暖化など誰も知らない時代に似たようなことが囁かれていたのであり先駆的。フィルムは損傷激しく、タクシーに手を振る久万里を見て左が呟く科白が、飛んでしまって聞こえなかったのが痛恨。「癲癇」を肴のギャグがある(田中邦衛の件)ため今や地上波放送禁止なのだろうが、そんなことはどうでもいい、是非とも修復してほしい。
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