[コメント] コントラクト・キラー(1990/フィンランド=スウェーデン)
誰もが幸せじゃない、ということは誰もが(自分も)もしかしたら幸せになれるかもしれない、ということをより信じられるということ?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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命狙われる人も狙う人も、花売りの女の人も、ホテルのフロントも、強盗の人も、、、この映画に出てくる人たちはどこか寂しげで、悲しげな感じがして、不幸とまで言ってよいかはわからないけど、幸せそうには見えない。それはつまり、本人がどう思っているかは別として、彼らが置かれてる前提というのが、多少の誤差はあるにせよ、大体皆同じなんだと思う。だから、主人公が死にたい、と思っても、皆ツラいんだよ、お前だけじゃないんだよ、みたいな風にとられてしまい、そのツラさというのをなかなかわかってもらえないということにも繋がると思う。そういうわかってもらえないツラさ、というので、更にしんどいというのもあると思う。ただ、それは逆に言えば、ツライのは自分だけじゃないんだ、とも思えるので、少しは楽にもなれるかもしれないし、皆幸せじゃない、という前提は、同時に誰もが(自分も)もしかしたら幸せになれるかもしれない、ということがよりリアルに信じられるということに繋がるような気がして、幸せというものがけして遠い存在ではないようにも思える。そこらへんに、希望があるような気がした。
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