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[コメント] ラヴァーズ・キス(2002/日)

この原作は読んでいないけど、吉田秋生の世界をきちんとトレースしたという感じ。ふつう監督自身の目線(こだわり)が持ち込まれて、少しは不協和音が起きるもんだけど、そういうものが全然感じられないというのもどうなんだろう?
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「なんで私の気持ちに気付いてくれないの?」という人が、誰かの自分に対する気持ちには気付かない。人のことが好きになる最初の頃は、その人のことを思いやるよりも、自分が好きであるということのほうが最大事なONE WAYな感情。恋愛や思慕の事始は、未分化の自分を他人に投影することなのかも知れない。だから好きになる対象が、同性だったりすることがあっても不思議じゃない。この作品、主役(一応)の2人の男女の恋愛感情の描写より、彼らにそれぞれ同性の立場から思いをよせる人たちの感情の描写のほうが圧倒的に精彩を放っている。宮崎あおい扮する妹が、姉と、また、同時に姉のことが好きな姉の女友達にいだく気持ちの描写なんか素晴らしく、まさしく吉田秋生がうまく描きそうなところだ(これはやっぱり宮崎あおいのうまさによる!)。監督はそういうことをよく理解して演出していると思う。

が、女性同士の恋愛感情にくらべると、男性同士のほうはいささか理想的に描きすぎ、…いやずばり原作者の憧憬なのだろう、これは。吉田秋生のコミックを読んだときに気付くのは、「男と男」の図は、作者の「お楽しみ」が入っているって気がしてしょうがないこと。女性同士の感情へ向けられる鋭いまなざしは抑えられ、「イイ男同士のからみの絵」は、作者にとっては、もう「描くことが楽しい」のだと思う。この作品でいうと、主人公の男と後輩(寺の息子)が音楽室で出会うシーン。これを向かいの校舎からヒロインと女友達に盗視させる、という状況設定こそ作者の「萌え場」だと思う。で、多分原作どおりのシーンを監督は「忠実」に撮っているのだ。なんでかと言うと、この作品が原作から独立されたものなら、ここのシーンはテーマ的にいってこの作品の「女性同士の感情」と同等の比重で「男同士の感情」も描くべきなのに、原作者と同レベルのまま、言ってしまえば「中身がないまま(←「やおい」というやつでしたっけ)」描写されている。このシーンに限らず、この作品の「男同士の感情」のシーンについては、監督はよくわからないまま原作をなぞっただけという感じがする。男同士のシーンが作者の趣味の世界だったとしたら、そこに意味はなくても不思議じゃない。でも、そこにこそ、監督自身の考えを入れるべきではないのかな、という気が5割以上はするかな。

この物語の恋愛感情の方向は、ひとつは「主人公の男←寺の息子←関西弁の男」で、もうひとつが「ヒロイン←同級生の女友達←妹」。主役カップルこそ「思われる」対象の末端にいて、実は彼らの感情は一番脇役、狂言回しといってもいいような設定で、最終的には、妹と寺の息子の一人称の物語(彼らこそ真の主役)というように帰結していくことが、ONE WAYな感情を反転させて見せ、「思う」ことだけではなく「思われる」ということに思いを巡らせる構成になっている点と、主人公の男とヒロインが最後に「相手を思いやる」心境へ到達して(主人公の看病をしているとき、ヒロインが「(主人公と)母親のことは話したくなければ話さなくてもいい」という件がある)作品が終わるという良心的作りには好感。

最後に。登場人物の役名を覚えておかないと、コメントを書くのには凄く面倒だ、と反省。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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