[コメント] 番場の忠太郎 瞼の母(1931/日)
しかし、本作の終盤クライマックスにおける畳みかけるような顔面モンタージュには、実に昂奮させられたのだ。心を鷲掴みにされ、激しく揺すぶられたという点においては、3作の中で本作が一番と云っていい。
終盤の柳橋の料理茶屋「水熊」の場面。店の中の後退移動に続けて。女将のお浜−常盤操子にドリー寄り。常盤をダッチアングルのアップで映す。忠太郎−片岡千恵蔵が部屋に入る。おっかさん!キセルを落とすお浜。こゝで素直に心情を云うお浜がいいが、あくまでも「私の子じゃない」と云い切る。「這い込み」や「家の身代を半分もらう魂胆」との科白。片岡が身を乗り出したアップショット。この後、忠太郎が立ち去り、娘(忠太郎の異父妹)お登勢−14歳の山田五十鈴(24年後、中川信夫版ではお浜役をやる)が帰宅する。「今の人だれ?」と山田の振り向くショットに繋げて表にいる片岡を繋ぐカッティング。こゝから母と娘の会話を実に細かく繋ぐ、斜め構図とアップの連打。
というワケで、本来のクライマックスはさらに最終盤にあるけれど、ワタクシ的には、この「水熊」の場面における片岡と常盤、山田と常盤の会話演出が最も昂奮した部分だ。ただし、あくまでもインタータイトル(挿入字幕)の使い方を含めた、極めてサイレント的演出の成功例として見るべきで、これを発声映画で真似することはできないものだし、例えば斜め構図や斜め字幕なんて趣向は、サイレントだと思って見ても、やり過ぎの演出に感じられる。
さて、終盤から先に書いたが、実を云うと序盤の武蔵国南葛飾の場面、金町の半次郎−浅香新八郎とその母と妹にまつわるシーケンスでも、書いておきたい演出がある。まずは、トップシーンでも使われる、鶏のいる庭と縁側の装置。そして、唐突に挿入される大きな(それは想像を絶するぐらい大きく見える)水車と小さな子守娘のショット。子守娘が風車(かざぐるま)を持っている。それに繋げて手毬が転がるという円形・球形の連打。これらはほゞプロットに直接関係のない、イメージショットの演出なのだ。あゝまさしく稲垣浩の刻印。
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