[コメント] 拳闘屋キートン(1926/米)
劇構成に対する繊細さを欠いては長編のふくよかさは生まれないSO-SO作品
ハロルド・ロイドがシチュエーションの滑稽に対してリアクションを取ることで、その劇構造に対する含みを持たせた修辞を獲得したのに比して、キートンの本作は、まだまだ瞬発力に頼るアクションで推し進める狭量なドラマツルギーが苦しい。ギャグの技法としての飛躍がナンセンスの高みに近づけば可能となるキートンコミックも、どうにも劇構成という枷に縛られて昇華しない拙さが明らかである。唯一の救いは、ラストに見せるストーンフェイスの大逆転劇である。そこで見せるキートンの躍動はコミックにあらずの真に迫るリリシズムを湛えて実に感動的である。コメディでありながらそのコミカルな描写は鳴かず飛ばずであったが、一瞬に煌めくアクションの抒情はやはり唯一無二のものであったと言いたい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。