[コメント] 幻の光(1995/日)
最初のパートは尼崎を舞台にした江角マキコと浅野忠信の夫婦の場面。子供が生まれ、浅野が亡くなるまで。1回目の暗転で時間が数年飛び、二番目のパートでは、子供が小学生ぐらいになっている。江角は内藤剛志と再婚し輪島で生活を始める。2回目の暗転は、江角が尼崎へ帰省し、浅野の思い出にひたった後、やゝあって行われる。三番目のパートでは、その後の江角の逡巡が描かれる。
本作は是枝裕和の長編映画初監督作ということだが、この時点で既に、暗転を意識的に使う特徴が表れている。ただし、これはかなり些細な志向性であって、今、本作を見て、分かりやすく驚かされるのが、なんとロングショット好きの演出だろう、という点だ。特に、輪島の海沿いの寒村の風景は、感嘆させられるカットの連続だ。どうしてこのまゝロングショットの演出家にならなかったのだろう。
ちょっと特筆すべきロングショットを列挙すると、まずは、尼崎から輪島へ出発する場面の、運河の側の駅のカット。駅舎の向こうの川面に、船が通るのが見えるのが凄い(調べると、これは新芝浦駅でのロケのようだ。神奈川県)。また、輪島の海岸線のすこぶる良い構図のカットは多数あるが、内藤の家のすぐ前が海で、海側からの高いカメラ位置の俯瞰カットが何度か挿入される。これ、どこにカメラを置いているのだろう、と思いながら見た。また、子供らが歩く雪原、水田の横の畦道、トンネルのカットなど。他にもラスト近くの葬送シーンでの超ロングショット、俯瞰カットで次第に舞うような雪が降ってくるカットも奇蹟的じゃないか。これが特殊効果だとしても、もの凄いデザインだと思う。
そして、尼崎の住宅街にある道に、小さな階段がある、というのは成瀬の『めし』じゃないかとか、それに江角と息子と江角の母−木内みどりの3人が黒い服を着て歩く姿も成瀬っぽいと思う。あるいは、輪島の家の中を、空ショット(窓、ミシン、柱時計など)で繋ぐ部分は小津を想起させたりもするのだが、トンネルのカットが複数回出て来たり、列車やバスの活用、海と山のある風景のロングショットによる悠揚迫らざる演出は、矢張り、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の影響なのだろう。音楽は『恋恋風塵』の作曲家だ。
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