[コメント] キートンのセブンチャンス(1925/米)
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初公開時の邦題は『キートンの栃麺棒』(栃麺棒(とちめんぼう)とは奥さんのこと)というもので、多分暴力的な花嫁候補をあしらったのだろうと思われる。なかなか洒落の効いた邦題だったと思うが、やはりそれでは分からないと言うことか、今は普通に『セブン・チャンス』となっている。
サイレントの同時代には優れたコメディ・スターが3人いた。チャールズ=チャップリン、ハロルド=ロイド、そしてこのバスター=キートン。それぞれに特徴があり、故にこそつぶし合うことなくスターであり続けたのだが、その中でキートンはかなり特異な位置にある。
彼のコメディは、人情が殆ど絡まない。むしろ殺伐とした人間関係を笑うこと(その点チャップリンとの差異は明かだろう)。そして自ら身体を使ってスタントまでこなし、スペクタクルを作り上げていること。
この作品は主人公ジミーが本当の愛を見つけるまで、欲にまみれた人間達に良いように弄ばれるが、「こいつら殺すつもりか?」とか思えるような描写がそこかしこに見られるし、それに対し、ひたすら逃げ回るキートン(そう。この人のもう一つの特徴は、逃げ回る描写が多い事)がとても真面目な顔してる。凄いシュールだ。
そしてキートンを追う花嫁軍団の迫力は無茶苦茶。人海戦術を用い(本当かどうか分からないけど700人の花嫁が出てくるそうだ)、迫力あるシーンとなってるが、これが又、凄い迫力。まさにこれ、ホラーに近いよ。
しかもクレーン車につり下がったり、岩の転げ落ちる斜面を走ったりと、スペクタル性も充分…正直、今は“絶体絶命”を演出するのはどんどん派手になってるが、逆に役者自身は安全。やっぱり本当にはらはらドキドキさせるのはこういった生の演技が一番だ(だって岩が落ちてくるシーンでも、逃げながら演技してるんだよ。この役者魂には笑うと同時に心から感心できる)。
更に撮影時にフィルムの回転数を落とすことで、まるでコマ落としのようなスピード感を演出できているのもポイントだろう。一時間の無声映画で、全くだれることなくスピード感を持続できたと言う、それだけで評価しすぎるって事は無かろう。
それと、キートンは“笑わない役者”と言われているが、それもシュールさを増しているのと同時に、本人が笑わないからこそ、観てるこっちが笑えるという特異な笑いを確立した人物でもある。
あと深読みかも知れないけど、本作の後半部分は時間との戦い。時間を訊ねようと時計屋に行ったキートンに対し、時計屋の時計は全て違った時間を指していて、しかも時計屋の主人の時計は止まっていた。と言うのは社会風刺にも使えるよ。
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