[コメント] 愚なる妻(1922/米)
同時代性といった文脈で語るなら間違いなく最高峰の部類だが現在視点ではSO-SOなサイレント
シュトロハイムが体現する人間の暗黒面の在り方は堂に入っていてこの映画のおぞましさをことさらに引き立てる存在感である。しかし、シュトロハイムが意図したオリジナルからおよそ2時間あまりもカットされたという本編は幸となっているのか不幸となっているのか映画の内包するリズムに併走しがたい微妙な運動となっている。ただし、救われているのは人間の行為に表層する意思というものを細部に着目した観察力で企てる演出の強度に迫力を見せている点である。カラムジン伯爵がヒューズ夫人の着替えを鏡越しに覗くシーン、マルーシュカがカラムジンと夫人の逢引を鍵穴から覗くシーン、カラムジンがマルーシュカを丸め込む際に様子を伺うチラ見など、特に視線の背徳行為というモチーフが強烈な印象を残している。これはこの映画の大なるモチーフとなっている盗むという背徳行為がカラムジン伯爵の視力の悪さというモチーフと共鳴しており、視野の狭さ、視界の悪さが人間の暗黒面を象徴的に物語る作劇に興を添える上手さを見せていて秀逸である。この時代、この制約的なサイレント期に人間描写の深みを見せて物語る本作は、間違いなく最高峰の出来栄えである。が、全編にシリアスなテーマである分、映画の旨みとしてのカット、シーンこそあれどよりリアリティ(迫真)を現実化する技術の史的見地から言えば、時代を顧みることで許される秀作という範疇である。
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