[コメント] 恐怖の報酬(1952/仏)
子どもの頃にテレビで観た記憶がぼんやりとあった。でも、きっとリメイクのカラー版の方だったろう。ただ、ストーリーなんて、まるで覚えていなかった。強烈に記憶しているのは「ニトロは恐い」と言うことだった。
ところで『バーティカル・リミット』と言う作品にもニトロが出てくるが、こちらの方はそれほど恐くは無かった。それで、気になってレンタル屋に飛び込んで、『恐怖の報酬』(52年の白黒版)のDVDを借りてきて観たのだが…。やはり、ニトロの恐さは『恐怖の報酬』の方が格段に上だ。50年近く前の作品が、現代の映像技術に敵う訳も無いが、やはり演出や設定、演技の勝利だろう。
とにかく、ニトロの恐さがじわりじわりと観る者の心に染み込んでくるのだ。臆病風に吹かれた奴を、初めこそ笑って観ていられるが、トラックが進むに連れ、作品を観ている自分の方がドキドキハラハラして「おいおい、そんなことして大丈夫なのか?」と思ってしまうのだ。そして、臆病者と自分の気持ちとがダブってきていることに気付く。
「バーティカル…」はニトロを背中に負い、「恐怖の報酬」はトラックの荷台に積むのだから、前者の方が恐くて当然の様にも思うのだが、後者の方が恐いのは何故か?それは、後者には臆病者の存在があるからだろう。観客は、恐怖に立ち向かう奴と逃げ腰の奴とを観ながら、勇気と恐怖の葛藤を視覚的にも味わわされつつ、勇気を応援している裏で、その恐怖に気付いていく…。
つまり、「バーティカル…」が「(恐怖を)知らぬが仏」になっていたのに対し、「恐怖の報酬」は「恐怖を思う、故に恐怖あり」に仕上げたと言えよう。
「バーティカル…」では、日光によりニトロが自ら爆発するという”演技”をするが、さほど効果をあげたとは思えない。一方、「恐怖の報酬」でのニトロは、何の演技もしない。それでも、出演者に負けない存在感を示し得たことは、名演技に匹敵すると言えるだろう。小道具がこれほどまでに”熱演”する映画は滅多に観られないと思い候。
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