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[コメント] ホームワーク(1989/イラン)

これはドキュメンタリーだろうか。あらゆる映画サイトにおいて「ドキュメンタリー」とジャンル分けされているけれど、少なくも、本サイト(CinemaScape)や一部の海外サイトのように、ジャンルには「ドラマ」も併記すべきだと思う。
ゑぎ

 私には、少なくも作り手は、「ドラマ」を作っているつもりだったように感じられるし、もっと云えば「ドラマ」をディレクションしていたのではないかと思われるのだ。

 序盤、画面外でキアロスタミが通行人と思われる大人の男性と会話する部分があり、アイデアはあるが脚本もないし、どんな映画になるか分からない、と云っており、同時に「宿題についてのリサーチ」という言葉もあるが、実際にドキュメンタリー作品にする、という明確な企画でもなかったのだろう。

 また、これは多くの方が指摘しているし、見た人は誰もが感じるところだと推察するが、子供たちへのインタビューシーンに挿入される、ファインダーを覗くカメラマンのショットの多さはどういうことだろう。カメラマンだけでなく、画面手前にインタビューするキアロスタミ、その後景に音声さんとカメラマンを映したショットを挿入して、まるで切り返しのような繋ぎを見せる部分も多々ある。これを同一時間軸、つまり、途切れない時間の流れとして見せるというのは、明らかにフィクションの編集じゃないか。

 カメラマンのショットも、ただ何も考えず無造作に挿入されているだけではなく(そういった場合もあるとは思うが)、子供たちが動揺する瞬間、例えば「アニメより宿題の方が面白い」といった俄には信じられないような(多分、ウソと思われるような)回答をした際に挿入されていたり、ベルトによる体罰に関して家庭の内実を漏らしてしまい、ちょっと戸惑うような表情をしているような瞬間を狙って挿入しているようにも感じられる。

 そして、終盤のインタビュー中に不安がってずっと泣く子供−マジッドと、友だちのモライの場面だ。こゝでは、マジッドとキアロスタミたちスタフを横から撮った、マスターショットがワンカットだけ挿入される、という特別な編集があることも指摘しておきたいが、勉強ができず悪戯も多くて、1年のときに先生から定規で制裁を受け、怖がりで泣き虫になったというマジッドが、ラストで長い宗教詩をしっかりと詠う展開には作為的なものを感じる。インタビュー中に泣いている時点から、もしかしたら、演出だったのかも、とまで云えば、云い過ぎになるかも知れないが。

(評価:★3)

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