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[コメント] アイデン&ティティ(2003/日)

理想を追い求める中嶋に憧れるも、終盤の「アイデンティティ」と言う言葉を連呼するだけの”歌わないライブ”に全てブチ壊されてショック・・・ 2004年2月28日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







以下、まだ社会に出た事の無いガキの糞レビュー。低脳なガキの独り言が例の如く延々と続きます。途中退場(?)大歓迎。

やりたい事をやり続けるのは本当に難しいと思う。今、大学受験を一年後に控えて、高校時代を振り返っても見たけど、果たして自分がやりたい事を今までやり遂げてきたのか、と言う自問に、素直に「yes」と答えられない自分が居る。

そういう意味で、中嶋のウダウダ悩みながらも自分の理想を追い求めている姿には憧れを感じた。大学時代の友達はすっかりスーツが様になり、過去の「夢」はゴミ箱かタンスの引き出しにでも閉まってしまい、社会に適応する”器用な”生き方をしている。それって、自分に妥協しているんじゃないのか?とも思えるのだが、中嶋の様な立場の俺からしてみれば、そんな事口に出来るはずも無い。何しろ、理想ばかり追い求めて何も結果を残していないのだから。

彼らにとって、大学時代に抱いていた「夢」とは一体何だったのか。正直、俺にはそれは「夢」に見えない。そんなの時勢に流されてやっていただけのその場凌ぎの楽しみでしかなく、終わってしまえば想い出でしかないでは?例えば『ウォーターボーイズ』のアフロ君が言う様に「とりあえずバンドやってりゃもてる」からかもしれない。だけど、あの映画で彼は、「とりあえず」ではなく、ド本気で青春を突っ走れるモノ=シンクロを選択する。それが夢ってモンじゃないのか?

だから、中嶋が必死に、周囲の”オトナ”にバカにされながら、貧乏生活をしながら、それでも必死に自分の理想とするロックを追及する姿には熱い物が込み上げてくる。

そりゃ、自分の理想に関して悩んでいる奴は山ほど居るはず。どっかの研究所のアンケートによれば、今時の高校生は「自分に満足していない」という奴が多いらしい。では、彼らは自分が自分に満足できるようになる為に一体何をしているのだろうか?中嶋のように悩みながら理想を追い求めているのだろうか?

少なくとも、俺の周りに居る奴らは、俺にはそう見えない。ただ、自分に満足していない、ってだけであって、結局の所どうでも良くて、ただ器用に生きて行く事を選んでいる様にしか見えない。

中嶋のように、いつまでも(周りが働き始めても)ダラダラと(周囲から見れば)ちっぽけな夢にド本気で賭けて生きてる奴はただのバカにしか見えないかもしれない。マトモに稼げないくせに、理想ばっかり口にしてる奴は糞かもしれない。そう見えるかもしれない。でも、俺にはそういう奴の方こそ輝いて見える訳であって、この映画の様に、必死に悩みながら理想を追い求める人間は心から応援したいし、自分自身もそう在りたい。

最初に予告編を見た時、バンドがどうのこうの、と言うのではなく、予告の中で理想と現実の狭間でぐらぐらしながら「今みたいなオトナにバカにされて、それでもバンドなら、バンドって何だよ、ロックって何だよ」と葛藤している中嶋の姿を見て、この作品を見ると決意した。実際、俺がロックに詳しくないせいかは知らないが、ロックが何であろうと、別に俺は構わない。

ただ、理想、夢に全てを賭けて生きながらも、周りからはバカにされ、現実と言う波に恐怖しながら、それでも理想を追い求める奴の物語を見たかった。そういう意味では成功している映画ではあると思ふ。

その姿は、ロックフェスで、ジョニー(中村獅童@ヴォーカル)抜きで、中嶋が彼女の為に歌う姿であり、そして、「あの人は今?」的なノリで開催されたイベントの無茶苦茶なシャウトで爆発する。俺は、先のロックフェスで歌う中嶋に涙し、その後のイベントでシャウトする中嶋に大笑いした。「自分の歌いたい物を歌えばいい」。彼にとってはまさにそれで、「てめーら世間はロックを冒涜してる!なめんな!」と、世間への怒りを爆発させる。それは、自分への怒りでもあるのかもしれないけど。

個人的に、中村獅童演じるジョニーや、コタニキンヤ演じるGODのヴォーカルの様な「生き残れるのは戦略の上手い奴だけ」と言う感じの考え方で、ノリなどだけで行動して、人に媚びて生きてばっかり(←ちょっとオーバーな表現ですが)の奴は、観て居るとイライラしてくる。けど、それが普通であり、当たり前であり、中嶋の様なのは「バカ」で「ガキ」でしかない。

でも、夢を追ってる人間は皆「バカ」で「ガキ」なんじゃないの?別にそんな彼らを否定する気はない。大体俺は否定できる立場に居ない訳だし。だけど、そんな彼らにも中嶋のような人間は否定できないはずだ。彼らもまた、否定できる立場に居ないはずだ。

けど、彼らの様な奴らはウジャウジャ居る。中嶋風に言えば「アイデンティティもロクに持たず、ロックを冒涜する奴ら」かもしれない(って、そんな事言ったら自分のバンドのヴォーカルを否定する事になるのか・・・)。

だからこそ、夢を追う奴は悩む。嗚呼、悩め!中嶋!おめーはかっこいいぞ!!

と、そういう点で(どういう点だよ)は大好きなのですが、ただ・・・中嶋の彼女。ナンデスカアレハ?化け物ですね。いつもいつも(劇中に於ける)正しい事を言う。中嶋は二人の人に導いてもらう。って、そりゃちょっと甘えすぎじゃないか?確かに悩んでる時は誰かに頼りたくなるかもしれないけど、これじゃちょっと中嶋、弱すぎですよ。

しかも、この中嶋の彼女のものの言い方の腹の立つ事。更に追い討ちをかけるように演技があんまり上手くないので余計に腹が立つ。何なんだ、この糞女は!!何か、この女のせいでかなりの部分の印象が下がった気がする。

けど、まぁまぁ面白かったから良いか、と一人締めくくろうとしていた矢先、事件がおきた。ラスト、スピードウェイは(何故かジョニー抜きで)ライブハウスでライブを定期的に続けている。そして、まさに映画のシメ、起承転結の結に当たる箇所で、この作品、「ロックとは何か?」というのをテーマにした(個人的には「夢を追うとは何や?」が本質に思えるのだけど)映画は突然破綻する。

延々と中嶋に演説させるのである。何度も何度も「アイデンティティ」と言う単語を連呼しながら演説ぶっこく。お前、アホか?

俺は、決してナレーション、と言う技法を否定するつもりはない。だけど、そのナレーションを使いながら、この作品のメインテーマを延々としつこく語るのは明らかな反則である。

そりゃ、観客が全て「ロックブームに流されてロックを聴きに着てる奴ら」と似たような奴らなら別に構わないかもしれないけど、お前ら作り手はプロだろ?観客が同でアレ、「俺は俺の歌いたいことを歌う」と言うのをロックとするのなら、映画は描くべき事を描くべきだろ。その描くべき事、ってのは物語を通して描くべきであって、演説を通して描くものじゃない。

そういうのは、ぶっ飛んだ音楽の中でシャウトしながら叫ぶべきではなかろうか?お前らミュージシャンだろ?お前らがやってるのは「歌謡曲じゃない、仮にもロックなんです」なんだろ? 「俺の歌いたい物を歌う」と言う以上、それをナレーションで延々と解説するのは、観客に対する裏切り行為の何物でも無い。

俺はロックとか詳しくないから良く分からないけど、ミュージシャンが歌わずにメッセージ伝えてどうするんだ?と思う。

俺が最後の最後に聞きたかったお前の新曲は、どうでもいい程、うんざりしてくるほど長い演説ではなく、その演説の本質を歌詞に乗せ、音楽に乗せてシャウトするようなぶっ飛んだすげー音楽だよ。相手がどんなバカでも、歌で何かを伝えようとするのがお前らの仕事じゃないのか?相手がどんなバカでも、ドラマを通して何かを伝えようとするのが映画の仕事じゃないのか?

歌を歌う奴が演説をだらだらぶっこいて映画は終わり、だなんて観客ナメてんのか?

まぁその点を考慮しても十分楽しめたから★4を献上。

◇         補足          ◇

「中嶋」 ではなく 「中島」 でした。面倒臭いのでレビューはそのまんまで。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)トシ Linus[*]

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