[コメント] 流転の王妃(1960/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
昭和32年12月の天城山から226事件の年まで遡る冒頭。明治天皇の血筋。軍の圧力で見合い。人身御供だと祖母の東山千栄子は怒って、軍の偉い人にお断りしに行きますが陸軍大臣でいいのかと尋ね、大臣が偉いという訳でもないと息子の南部彰三が答える。「要するに軍というものです」「正体はないんですか」「まあそういうものだろうと思いますね、力というものは」。今も昔も権力はそんなもの。中立派の大将三井田健も策動する部下に同じことを云っている。
見合いで東山が相手の船越英二を気に入ってしまうという喜劇的な外堀の埋まり方で、結婚。皇太后へ面会報告する件がある。天皇描写とは違い(新東宝の明治天皇のように)普通に撮られている。外廊下をしずしず歩くのを格子の障子の内側から撮るのが格好いい。
満州では皇帝以外は皇族ではなく、冷遇される船越と京。在新京、新居の周りは元牧場で一面野原。夏はウサギが跳ね回るがすぐに宮殿が建つと船越は云うが果たされない。あんずの樹の先の日の暮れを、白味を残して朱色に塗った技巧的な背景が美しい。
兄の溥儀は総理大臣と一緒に傀儡政権を自嘲。この皇帝周辺の美術は豪勢で、皇后金田一敦子はやたら美人。「お人形だ」と嘆く溥儀。廻りはスパイだらけ、京マチ子も関東軍のスパイと疑っていたと謝る。船越も関東軍の不満を京に告白する。部下も半死半生の目に合ったり、北京へ帰った者もいる、満州の石炭が満人に渡らないと嘆いている(食堂の子供も日本人は金払わないと京に愚痴る)。自分が日本人で辛いと京も嘆く。
ソ連参戦、首都移転。京は単独で飛行機で東京へ帰る機会を見送り、船越の自殺を止め、皇帝一家とともに敗走。乗れない大勢の満人の叫びを車窓から見る残酷。日本敗戦。皇帝退位、総理ほか任を解くと告げる溥儀。京は皇后の面倒見る。皇帝と船越はソ連に捉えられ、皇后病気に。国民党か共産党か、傘かぶった中国人たちは日本人はいるかと突撃。皇后と娘連れて集団の山脈敗走。この件は音楽だけで科白は全部略される手法で『砂の器』に先んじている。死んだ人は土葬され、夕陽がここも着色処理で効果を上げている。人民解放軍のトラックに乗せられ雪山を行く。軟禁されて半地下の窓から小正月の光景を見る。指輪は取られるが子供のデンデン太鼓は取られない。
「悪夢のような」通化事件。日本軍「お助けに参りました」で山の稜線に並ばされて射殺される。延吉監獄。皇后は阿片中毒発病し、大八車に仰向けにされて連れ去られる哀れな最期。敗走する共産軍に突然に開放されてハルピンあたり、佐世保へ。船越と別れて1年5ケ月後のこと。
船越探すが見つからず。娘エイセイ。周恩来に手紙書いて返事、撫順に皇帝と共に獄中にいる。日中のために娘を中国風に育てたが自殺(57年。天城山心中といい、心中だったらしいが映画は詳しく描いていない)。ここで冒頭に戻る。清朝の系譜の期待と自覚が娘を圧し潰したと。船越から手紙の返事。ふたつの国の友情を望んで映画は終えられる。ここで皇太后から貰ったハクウンボクの大きく育った樹木をパンアップするのが保守的な処ではある。
尻切れトンボな収束はリアルタイムの事件の途中報告だからで、映画公開の1960年に夫は釈放され、ふたりは翌年中国で再会し、そのまま夫婦は中国で暮らした由。京の画の先生役の笠智衆は結局登場しなかったが、登場するバージョンがもしかしてあるのかも知れず。
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