[コメント] 解夏(2003/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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今、私は教員をしています。この映画を手にとったのも主人公の彼が教師という仕事をしているという設定に興味をもったから。そんな私は、担任をしていた子どもたちからの手紙の中に、一通の彼に救いを求める声があったことにやはり涙しました。
こんなにも、やりがいのある仕事、人の役に立っていると実感できる仕事をこれまでやってきていて、それができなくなったときの無力感。もともと小学校の男教師というのは概して仕事に燃えるアツイ人が多いと感じる(大沢たかおの小学校教員はちょっと落ち着き過ぎてるような気がしましたが・・・)ので、やはりこんなに辛いことはないでしょう。そう思いながら、私は、今、健康でいることに感謝しながら精一杯子どもたちと関わっていかなければならないと感じました。そういう意味では、自分の生き方を見つめることができてよい映画だったと思います。
しかし、この映画のサイトでは“劇中ではこの「解夏」を、闇の中をさまよう苦しみから解き放たれ、ようやく探り当てた一筋の光を胸に自己を再生し、新しく出発する日と考え、物語全体のテーマとして捉えています”とあります。これがテーマであるとしたら、描き足りないような気がしました。彼が、新しく出発する一筋の光は石田ゆり子?それでは、物足りないのではないでしょうか。
彼は、この先、どのように生きていくのだろう。ただ、日々を過ごすだけ・・・のことしかこの映画の中からは想像できないのがとても残念です。彼女とどのように過ごしていくか・・・というところまで見つめることができて、初めて彼にとっての解夏の日はくると思うのです。歯磨きがどうとかっていうような日常生活のレベルではなく。「目が見えなくても、ずっと続けていきたい何かを見つけた」とか「自分にできることを見つけた」とか。そいういうのがあったら、もっと見ているほうは救われたなぁ・・・そして、「解夏」という映画のタイトルの意図にも合っていたのではないかなぁ・・・と。
彼は苦しみからまだ抜けていない。まだまだ行の最中なのではないでしょうか。
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