[コメント] 嗤う伊右衛門(2003/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『四谷怪談』の記憶というと、やはりオーソドックスなものであって、伊右衛門がお岩のことをだんだん嫌いになっていって、毒を盛って、顔が崩れて、このお岩の愛情が強くて、死んでからの憎しみが良く伝わる作品ですね。これがどの『四谷怪談』か、とい色々調べてみると、(恐らく)新東宝が毛利正樹監督で作った『四谷怪談』でした。若山富三郎が出ている作品なので、間違いないと思いますが、脚本を小国英雄さんが共同で書いていて、なるほど筋の通った映画だったなあ、などと勝手に思っているわけなんですが、これが多分『四谷怪談』の映画における私の原体験なのだろうと思っています。
さて本作は、そういう意味では原作から斬新な解釈で、楽しいですね。原作には手を触れていませんが、なかなか面白いですね。純愛に的を絞るあたりが面白いと思います。
蜷川幸雄監督も随分頑張っています。なぜこの人は『四谷怪談』にこだわるのでしょうね。1981年に作られた『魔性の夏』もいわゆる『四谷怪談』ものですね。(見ていませんが・・・)ご存知の通りこの方は舞台演出の人ですね。古典が中心です。日本のものでは近松もの、外国文学ではシェークスピアなどを積極的に舞台で展開しています。それはそれは素晴らしい、日本屈指の舞台演出家と言えるでしょう。古典の解釈はそれを現代に置き換えたりすることで、わかりやすくするなどという手法が取られますが、前作『魔性の夏』では、どうやら現代風にアレンジしていたようです。
今回はあくまでも伊右衛門に焦点を絞り、彼がお岩をどう思っていたか、あるいは伊藤喜兵衛をどのように思っていたかを描いています。伊右衛門の性格ってこんな性格だったっけ?と思わせる、非常に純粋で忠実で、真面目な性格の伊右衛門を唐沢寿明が好演していますね。
映像も素晴らしいと思います。伊藤喜兵衛と伊右衛門の対峙するシーンなどはなかなか見事。カメラワークも自然ですね。カメラは藤石修ですね。『踊る大捜査線』や『世 にも奇妙な物語』などで、キレイな映像を駆使していますね。
でもね、この映画を高く評価しにくいのは、やはりラストだと思うんです。お岩でしょ。残酷な話でしょ。でもこの映画前半からラストまでずっとキレイなキレイな映像で通しておきながら、ラストであの残酷なシーンを見せてしまうというのは馴染まないんですね。間違いではないと思いますし、原作に忠実な描写なんでしょうけどね。あそこのシーンが、この映画と映像の美しい芸術をグロでマイナーな映画に貶めているような気がするんですね。
棺桶から蛇とネズミが出てくるでしょ。あれはいいんです。でもね、あの中に伊右衛門とお岩が添い寝しているでしょ。あれねぇ。何も骸骨を見せなくても良いのではないかと思うんですよ。家が亡骸みたいになっていますよね。もうあれで十分じゃないですか。家がぼろぼろで骨だけになっていて・・・ということで見る側はもう棺桶の中のことが想像できるじゃないですか。その上何もお岩の骸骨見せなくても、もっと映画的な終わらせ方があるのではないかなぁと思うんですね。
せっかく素晴らしい純愛の原作で新しい解釈の『四谷怪談』を楽しんで、キレイなキレイな映像でカメラも美術も素晴らしくて、そして脚本もいいよね。セリフがね。素晴らしいんですね。でもあのラストが残念です。これきっと舞台人が舞台でできないことを映画で表現しようとして失敗するパターンなんですね。蜷川さん好きな人なんだけど、やはり映画人ではないな、と思わせますね。映画としては失敗しています。せっかくの素晴らしい原作、素晴らしい役者とスタッフに恵まれながら、あれをやってしまっては映画として失敗だと思いますね。
残念です。
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