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[コメント] あねといもうと(1965/日)

佐多稲子のような左翼作家にとって困難な時代だったのだろうか。貧困とは家族で解決すべきこととなり、社会で解決しようという視点は消滅している。中村晃子が厭な役で気の毒。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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田園調布の舗装された町並みと、冒頭の未舗装の工場街を映画は残酷に対照しているが、前者にばかり描写を集中させていく。久我美子に対する山村聰の救出は右翼的であり、左翼作家の佐多はこの事態をどう捉えていたのか、この映画からは聞こえてこない。貧乏で息子を結婚させないと決めている北林谷栄のような人物に、映画はまるで同情を示さない。川頭作品としては、家族だけで貧乏から這い出す努力を描いた『かあちゃんしぐのいやだ』と並べて見ると複雑である。

笑いあり涙ありのファミリードラマとしては相当に出来が悪い。結核で突然死んじゃう早川保がメロドラマらしい軽薄で芳しくなく(病院行けないほど貧乏とは一応云い訳されているが)、線香も供えない倍賞千恵子は依怙地にしか見えない。裏側から見た『鳩を売る少年』の階級対立のようだ。この暗さに大辻伺郎の軽薄寄りのキャラが対照されて、一家のドラマは纏まりなく空中分解している。久我美子を家庭の邪魔もの扱いする中村晃子については何の弁明もなく放り出されており、これでは役者が可哀想だろう。

上野東照宮の大きな銅灯籠の行列は知らなかったので吃驚。灯籠の窓に石投げ入れ、入れば願いが叶うと語られていた。

(評価:★2)

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