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[コメント] 21グラム(2003/米)

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの野心について。
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前作『アモーレス・ペロス』でもそうだったが、本作でも一つ一つのエピソードだけでも一つの作品として成立するだけの重厚な設定を備えているのにもかかわらず、この監督は敢えて一つの作品の中で複数のエピソードを重ねることにこだわる。それは複数の語りを束ね、それを維持することで、何か普遍的なものを引き出そうとしているのだと思う。同じオムニバスでもジム・ジャームッシュウォン・カーウァイとは異なる野心のようなものを強く感じる。

しかしその普遍的なものを打ち出すための仕掛けがいつも強引すぎるのだと思う。どのエピソードも必要以上に、かつ執拗にどん底に追い込まれていく。おそらく撮影段階において一つ一つのエピソードはもっと丹念に描かれているのだろうが、時間の関係上カットしている部分も多々存在するように見受けられる。それらカットされたシーンが本来持ち得た意義と普遍的なるものの意義とを比べると、必ずしも後者のほうが優先される必要があるのか疑わしく思う。前作と本作の間に撮られたオムニバス集『セプテンバー11』におけるこの監督の作品で提示された、9・11の軽はずみな解釈を思い出すにつけ、なおそう思う。

一つのエピソードをじっくり詰めたうえで提示することにより、その個別性を超えた普遍的なものを引き出すやり方だってあるのではないだろうか。『メメント』のような特殊なフォーマットの作品を撮ったクリストファー・ノーランが『インソムニア』という直球の作品を撮ってある程度成功したように、この監督が一つのエピソードをじっくり語るところを観てみたい。余計なお世話だが、その際もう一度ショーン・ペンを起用してもよいのではないだろうか。

(評価:★3)

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