[コメント] パッション(2004/米)
サイレントの時代から連続活劇、そしてトーキー、モノクロからカラーへ、CG、VFX・・・映画は科学ですね。ありとあらゆる科学を結晶させるもんであって、その結合体がアカデミーなんでしょうね。
『2001年宇宙の旅』や『スターウォーズ』がもたらした科学によって、我々は想像することがスクリーンという闇の中で現実に近い環境がもたらされることを知りました。
正月に見た『キングコング』や『ロード・オブ・ザ・リング』、『マトリックス』何でもそうだ。想像すること、見たい(あるいは作りたい)と思う気持ち、そして科学の力、それが映画を次々と未来的な創造物として構築してゆくのですね。素晴らしいことですね。
反面、スクリーンに映る内面は科学の力ふぁけでは解決できません。その映画を作る者、そしてそこに配置される人物(役者)そして被写体の周辺を囲むセット、照明、何と言っても被写体を具体的にするカメラなど。内面を具現化させるためにも技術は手放せないものなのです。
内面世界を表出させる芸術は、むしろヨーロッパや中国の古き良き映画に見出されます。イングマル・ベルイマンやアンドレイ・タルコフスキー、ホウ・シャオシェンなどがそれですね。いずれの作品にも科学の力だけでは実現できない内面世界が映し出されます。
そして遂にこの映画でメル・ギブソンは、これまで誰もが手を加えようとしなかった大変な果実に手を加えてしまいました。大変なことですね、これは。
もしかしたら、やってはいけないことをやってしまったのかもしれません。
この映画が事実を投影したものだとしても、これは映画なんですね。メル・ギブソンはそのあたりを良く心得ていると思います。これほど残酷な映画を良くぞ撮った。これほど過激な映画を良くぞ撮った。恐るべき執念を感じる映画でした。
この映画でメル・ギブソンは科学と内面、もしかしたら触れてはいけない事実に触れてしまったのかもしれません。これを目をそむけずに見ることができるのでしょうか。オカルト映画よりも恐ろしい映画。恐怖映画ですね。
でも、これがもし現実だとしたら我々には見なければならない義務があるんでしょうね。与える側のイエスではなく、イエスを追い詰めた者の立場になって、同じ過ちを繰り返さないこと。自分達の中に棲む悪魔について考えるべきなんだと思います。
モニカ・ベルッチ(美しき人よ)がマグダラを演じています。マグダラの解釈も難しいところですが、この映画のマグダラは罪を許されて、終始キリストに付き添います。 磔刑、埋葬、復活までですね。キリストの足元にすがるシーンは美しくも感動的です。
映画が長い年月をかけて作り上げてきたものが、この映画で遂に結実してしまいました。結実するべきものではないかもしれませんが、一旦は結実してしまった。
そして我々は見てはいけないもの、本当は心の中で思い描くものを科学の力によって見てしまった。(あるいは見せられてしまった)そんな気がする映画でした。
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