[コメント] さらばラバウル(1954/日)
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『さらばラバウル 最後の戦闘機』が正しい題名。冒頭に、空中戦は米軍のフィルムとの謝辞が入る(すでに米検閲はない)。OPタイトルは味気ないもので、欠落して後で追加したように見える。
救援機を出すか出さないかという判断が問題になる。敵陣だからさらに被害が増えると云う冷静過ぎる池辺良の大尉に、戦友を救出に行けない平田昭彦は不満を抱いて対立している。零戦が世界一だったのはミッドウェイまで、今はグラマンF6Fのほうが性能が上と病床の三國連太郎は語る。
作戦の反省会で部下は「どれが敵機でどれが味方か判らなくなった」と告白する。一年の訓練で即実戦じゃあそうかも知れないと池辺も同情している。イエロースネイクと怖れられた敵米兵ボッブ・ブースを捕まえてみれば開戦までは冷蔵庫のセールスマンだった。零戦にパラシュートがないのが理解できない、人命軽視の国家が戦争に勝てるはずがないと病床で云う。
この、順を追った説明が説得的でいいものだった。零戦に爆弾積んでくれ、不可能を可能にしてくれと上官に云われ、一日も早く死なせてくださいとお気に入りの部下に云われて、池辺は救援に向かって平田を救う。雷の鳴る雨雲に突入して敵機を振り払うという『ラピュタ』みたいな描写がある。
ラバウルの南洋酒場。根岸明美のダンスは熱心に撮っていてとてもよろしい。助監督は右翼で有名な古澤憲吾だが、こういうパーティシーンは後年得意にしたものだ。トラック島へ撤退前夜、酒呑んで唄われるタイトル曲は、私が知っているのと微妙に違った。
撤収の輸送船を救うために戦闘して墜落する池辺。輸送船からそれ見て「あの人じゃないわ」という最後の岡田茉莉子の言葉は、よく意味が判らなかった。中盤まで地味な展開に説得力があったのに、ラストを派手にして逆に印象を薄めていると思う。三國の最期ももうひとつよく判らず。さらに木匠マユリの出番が殆どないのは失策と云わざるを得ない。
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