コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 巨人ゴーレム(1920/独)

黒魔術の存在が肯定されるユダヤ人ゲットーの物語。センシティブな話で暗喩は難しく、どう観ていいのか戸惑わされる。カフカ以降の映画なのだからなおさらだ。自己批評を批評する権利があるのは当事者だけなのだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







カフカは同時代のプラハでユダヤ人の路上での虐殺を伝聞している。「審判」の世界はリアルだった。彼はユダヤ教徒には批評的な距離を置き、作品に影響を受けながら一方では否定的だった。彼は寓喩を多用したが、主にユダヤの没落が主題とされた。本作のような切り口の作品は書かなかった。本作、ユダヤ人以外のスタッフが際物視から黒魔術を面白半分に撮った作品だとしたら噴飯ものだが、ユダヤ人に好意的ないし同情的であることは確かだ。しかしその距離感は判じ兼ねた。

ゲットーは石造りで階段はらせん状、門は巨大。表現主義的美術。老師はとても長い望遠鏡で星見てユダヤに災厄を予言。エホバに祈るのですと布被って胸叩いて祈っている。すると王室から災厄のお達し。「黒魔術を使う師を磔にしてゲットーからの退去を命ずる」。

老師は粘土こねてゴーレム造って呪文、棒で地面に円を描くと円が燃え上がるのが悪魔くんみたい。ダビデの星を振り子のように振り「アスタロト、出でよ」すると粘土のオジサン顔の眼が剥かれる。ハナ肇が鮮やかに想起される。胸にダビデの星が埋め込まれる。

ゴーレムは薪を割り、買い物かご抱えてはじめてのお使い。大人は逃げ子供は寄って来る。鞴を引きすぎて炎が燃える。老師は皇帝に私が造った召使だと見せに行き、皇帝は褒める。サーカス劇団のような王室がどういうニュアンスなのかも私には見当もつかない。ユダヤの歴史をお見せしましょうと分割画面で砂漠の放浪。道化師たちが笑うと天井が落ちてくる。皇帝が「助けてくれれば汝の民を許す」と云うと、ゴーレムが天井を支えるのだった。

老師の娘と皇帝からの使いが恋に落ちるという脇筋は平凡だが、当時としてもリベラルなものだろう。宗教を越えた愛が描かれているのだから。

夜中に老師とゴーレムはゲットーへ帰還。みんな喜んでいる。老師は土に帰るがよいとゴーレムに云うのだが注意書きの詠み込み不足で、まだ活躍する気らしいゴーレム。老師の息子の挑発で、老師の娘と逢引する皇帝の密使と対決し、見張塔から落として殺してしまう。

これは何を云わんとしているのだろう。私には見当もつかない。ゴーレムはゲットー外部との交流を拒否するのだろうか。老師の娘の三つ編みを掴んでゴーレムは引き摺ってまわる。そしてゲットーの門の外に出るが、老師の呪文で倒れ、遊んでいた子供たちに胸の星を奪われ捨てられて動かなくなる。ユダヤの民はゴーレムに感謝し、大勢でで担いでゲットーへ戻って行く。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。