[コメント] 紅の豚(1992/日)
■雄弁な飛翔感の対極にあるもの
□豚
メーヴェ、シータの落下、ホウキ……宮崎作品における空を飛ぶ描写の素晴らしさについては言うまでもない。『ルパン』の記憶がある人なら、「死の翼アルバトロス」を思い出してしまうわけだし、期待感は高まる。それに違わず、この作品は飛行機そのものの登場によって、飛翔感の描写の一つの究極の形にもなっている。
たしかに、宮崎駿による水上機の描写は大変に魅力的だ。しかし……なぜ主人公が「豚」 でなければいけないのだろうか、これが全くわからない。「少女」+「機関銃」=×で、「豚」+「機関砲」=○という図式もまた、どうしてもわからない(また、悪漢たちとの空中戦は、彼の嫌う「バイオレンス」ではないのか。という疑問もある)。
そもそもセーラー服云々という作り手よりも、少女(幼女)によるストーリーテリングの多用が、ロリータコンプレックス云々という論議になってしまう方が、よほど問題なのではないだろうか。彼にしろ、周防正行にしろ、なんらかの屈折や挫折が、正面から女性を描写できない理由として存在しているのでは、と思しき作り手にかぎって、海外で紹介される機会が多いというのは、なんとも残念な図式なのだけれど。
□「偽悪」か「ナルシズム」か
その後自動車雑誌のエッセイ漫画で、自画像を擬豚化して描写してたところを見ると、宮崎的には「豚=カッコいい」ということなのだろうか。それは屈折したナルシズムなのかもしれないし、あるいは偽悪的行為なのかもしれない(その後の彼の言動に、言行不一致な部分が散見されるようになってきてからは、その両方なのか、と思ったりすることもあるが)。
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宮崎作品にアクションを期待する価値観からすれば、『カリオストロ』『ナウシカ』的なものから『ラピュタ』的なものへの変遷は残念なことであり、この作品での逆行(?)はある種の「復活」だったとも受け取れる。しかし、主人公が「豚」では、どうにも「?」が頭の中をチラつくばかりで、どうしても作品世界に没入することができなかった。
そうやって考えると、この作品を一言で表わすと、とても「残念」、ということになる。やはり動画のすばらしさだけでは、映画という大スクリーンは埋めつくせないようだ。
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