[コメント] 昼下りの決斗(1962/米)
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ペキンパーは西部劇の監督に憧れていたのだそうだが、実際に彼が監督出来るようになった時代では既に西部劇は顧みられないジャンルになっており、ペキンパーが作った数々の作品はいわゆる王道をいくのではなく、まるでその斜陽を示すかのような静かな、そしてどこか寂しい作品を作っていくことになる。
デビュー作である『荒野のガンマン』自身が、弱いガンマンを主人公とした作品で、一種の異色作だったが、出世作となった本作は、今度は既に引退した二人のガンマンを主人公に、友情とも打算ともつかぬ、奇妙なバディ・ムービーっぽく仕上げられてる。 マクリーもスコットもかつての西部劇のヒーローではあったが、この時点では二人とも既に現役を退いた老齢で、映画の設定にも重なっている。それが妙に疲れとも倦怠感ともつかぬ演出になっているのだが、それが格好悪いか?と言われるとさにあらず。実際格好良く見えてしまうものだ。
かつて本当の友情で結ばれていた主人公二人の生き方は、どこかで別々な道を歩き始めていた。昔気質でガンマンの理想を未だに引きずっているジャドと、既にそう言う世界からは足を洗い、今や打算的な生き方が性に合うようになってしまったウェストラム。この二人の食い違いは、単に物語上の問題ではなく、西部劇そのものの作り方への変化とも言えるかのよう。まるでペキンパー自身の心の葛藤のようだ。本作では最後に確かにそれでも友情と呼ばれるもので結びつけられてることを感じさせられるのだが、ペキンパー自身がこれから作り続ける西部劇は、この葛藤を常に引きずっていくことになる。
改めて本作を観ると、イーストウッドの『許されざる者』(1992)はまさに本作を目指していたことを感じさせてくれる。
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