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[コメント] マインド・ゲーム(2004/日)

興奮した。興奮しまくった。そして何より、実に心地よく日常生活に帰してくれたのがうれしかった。アニメのトップランナーが全速力で挑んだ「リアル/現実」。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 アニメーションには限界がないと言われる。登場人物はあり得ないほど大口をあけて笑うし、オリンピック選手よりずっと速く走り、高く跳ぶ。それどころか“現実と妄想”や“現世と死後の世界”を容易に行き来し、作家のイマジネーションはあらゆる束縛から解放される。

 また一方で、そうしたアニメーションの性質は「現実逃避の絵空事」と揶揄されることがある。表現の自由度にかまけて粗製濫造される多くのキャラクターや世界設定はときに突飛なだけで、幼稚で身勝手な表現だったりもする。だからこそ、万人の鑑賞にたえうるアニメーションをつくるためには、作家には強靭な意志と矜持が求められることになる。

 ところで、私は『マインドゲーム』という作品がとても好きだ。

 主人公・西がことあるごとに叫ぶ「いきいき生きるんだ〜!」的な台詞は、世の作家たちがもっとも忌避すべき性質のものだ。多くのドラマは「それ」を語るために様々な設定を練り、キャラクターを配置し、物語を綴る。台詞で直接そんなことを言っても伝わるわけがないから、各々の“たとえ話”を通じてメッセージを受け手に送ろうとする。「本当に言いたいことは台詞で言うな、行動で示せ」──それはストーリーテラーにとって初歩の初歩ともいえるセオリーだと、私は理解している。

 だが、『マインドゲーム』は、とことん開き直っている。もっとも重要なメッセージを主人公に何度も吐かせる。あの直接的な台詞がドラマの中で成立するのは主人公・西がいっぺん死んでいるからで、この「いっぺん死んでいる」という設定を持ち込めたのは、この作品がアニメーションだったからに他ならない。アニメじゃなければ、あんなに軽薄で愉快で曖昧な死後の世界を描くことはできないだろう。曖昧な世界の「曖昧さ」を明確に描けるメディアは、たぶんアニメだけだ。

 そして鯨の腹の中で、今度はアニメでしかできない表現で現実を描く。あの酔狂、あのセックス、主観的な現実。目に見えるものだけがリアルじゃないんだ。気の持ちようひとつで、咲かない花が咲く、聞こえない唄が聞こえるのだというアニメからのメッセージだ。

 ラスト、物語が大阪を目指して走りだしたとき、私は心底感動した。途方もない絵空事を、この作家は日常につなげようとしている。必死で、力ずくでつなげようとしている。そう思った。作家は主人公・西にしつこく叫ばせ続けた、青臭くて、今すぐにでも形骸化してしまいそうな絶望的な台詞を、物語によって証明してみせたのだ。「全部リアルなんじゃい!」と叫んでみせたのだ。

 4℃と湯浅はおそらく、自分たちがアニメーションの世界においてトップランナーであることを自覚しているだろう。そうじゃなきゃ、こんなに真正面から「リアル」に挑むアニメーションをつくれるはずがない。ジャンルを背負って立つ作家の、渾身の仕事を見た。

(評価:★5)

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