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[コメント] 燃えよドラゴン(1973/米=香港)

妹の仇討ちが新たな境地を見いだすきっかけとなり、ラストに繋がる展開は見ていて引き込まれる何かがある。全てがブルースリーのPVでありビジュアルバムなのだが、その根底をなすブルースリーイズムは今なお燦然と他を圧倒し続けている。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







鏡張りの部屋の戦いは、ブルースリーの体を強調している作用と、ブルースリーの人生哲学が増幅していく行程が込められている。一瞬一瞬に悟りを開き、戦い中も悟りを全開にして挑む形なき形を体得したブルースリーの戦う姿が大勢映し出されたスクリーン。ブルースリーに恋いこがれて映画や終わるや否やor映画館を出て奇声をハッスルはずだ。

それにしてもハンの島の設定が不自然極まりない。殺人の証拠がないから迂闊に強制捜査することも出来ないと言い、ブルースリーに突撃を命じてしまうのだけど、そんなことない。いつだって強制捜査出来るのであって、急造で取って付けた展開などを用意して欲しくなかった。どうせなら、強制捜査に踏み切れない原因(例:官僚の腐敗)を描いて欲しかったし、ハンの島を制圧し、政府の腐敗も鉄拳で浄化するような展開がブルースリーに似合うのにと思ってしまう。…と言ったところで、どうにもならないし遅いのだけど、そこに伏線で端役にジャッキーチェン。

私がそこで思った事はジャッキーチェンが、この作品後に体現しているので別に構わない。ジャッキーはこの作品にコンマ何秒か出てきただけだったが、その一瞬で自分の今後に活かせることを学び、ブルスリーの肉体と思想の断片を受け継いで、カンフーを毎秒ごとにワンランク社会的地位を押し上げていく。先陣の作品を脳だけではなく全身で咀嚼し、自分の栄養として、永遠の未完成であるが故に可能性が幾重にも広がる思想を受け継ぎ、新たなる境地を創り出していく構造がカンフー映画の深淵なんだろう。この映画とその後のカンフー映画を見て思う。

ジャッキーとブルースリーのバトンタッチのようであった。

2003/1/6

(評価:★4)

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