[コメント] エイプリルの七面鳥(2003/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
日本人の好きなことばか四字熟語の第1位は「一期一会」であるらしいが、本当に意味がわかってて言ってるか気になる今日この頃。
「家族」と「日常生活」ってのは、恐らく、すべての人にとって、「あっ、そうやったんや、そうや、そうや、これやっ!」と答えが見つかりそうで、「あ〜あ〜違う、違う、やっぱり違うわ、違うねん!」と地団太を踏み、「あっ、やっぱりそうや。これや、これっ!わかる?わかる?これやん!」とまた答えが見つかったようで…(ry…と一生のたうちまわる二大テーマだと思われます。
祖父母と親、親と子、兄弟姉妹、親戚…その「縁」の中にいるわずらわしさ。わかってほしい一番の人に、一番わかってもらえていないようでいて、実はわかってくれているからこそ、腹の立つもどかしさ。そして、お互いにわかりたいと思っているけれど、甘えや照れが交差して、「わかりたくもない!」と素直になれず突き放してしまうこ憎たらしさ。そんなこんなを永遠に繰り返している気がする。
わずらわしいから、離れてみれば、どっと日常に追われる。代わり映えのない毎日の中で、請求書の山や遅くまでの残業、横にしても縦にしてもうまくはいかない恋愛、無限ループのようにそんなことをくりかえしていくうちに、気づけば腹はメタボリック、頭皮はスカスカ、どんどん自分がダメになっていくような気がする。
そんな時、やっぱりまた家族、アメリカなら感謝祭やクリスマス、日本なら正月やお盆に顔を合わせる。有難くもない再会。そして、最後にはお互いにまた少し失望しながら、「また帰ってくるから」と愛想を残し、惰性ループに戻っていく。
何も変わらないようでいて、でも、少しずつ変化していく。少しずつ立ち直ろうと、それがもしかしたらまた元の木阿弥、結局何も変わらないのかもしれないけれど、ちょっとやってみようと思える瞬間がある。繰り返せば繰り返すほど、半ば諦め気味なのだが。何も変わらないようでいて、確実にみんな歳をとっていくし、確実に死に一歩ずつ近づいているのだから。
そして、家族全員集まる機会が「これっきり」になるかもしれないと思ったとき、過去を清算することはできないまでも、自分の日常にも、家族にも、また「希望」を見出したいと思ったとき、エイプリルは七面鳥を用意するのだ。「最後の晩餐」。
「これがうまくいかなければ、これから先の事、すべてうまくいかないような気がする」とばかりに感謝祭の用意に奔走するエイプリル。そして、彼女が変わったことなんて信じられない、何も期待できない、でも、それでも、彼女の元へと車を走らせる家族。「ああ、やっぱり、何も変わってなかったのね」とアパートを見るなり、その場を立ち去る家族。
そこに、ひとつの奇跡。「映画の魔法」。
あとは涙しかなかった。「やっぱり、これだったんだ!」「家族ってこれなんだ」と抱き締め合い、エイプリルが必死で用意したご馳走を囲む姿。
きっと、それからも「やっぱり、違った」「家族なんてクソわずらわしい」と思うことがあったにせよ、お母さんが逝ってしまう前に、せめて、この映画のラストシーンの一瞬一瞬にこの家族が到達できた奇跡。この奇跡を共に涙して喜べずして、人と言えようか。
そして、この瞬間をスナップショットで切り取った省略法が憎い!巧すぎる!(感謝祭の半日を見せるだけで、この家族の抱える問題、関係、エイプリルのこれまでの日常、人となりといった過去が伝わる省略。すごい。)
それにしても、家族なんてものは…(『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』に続く)
■余談
まったくもって、個人的エピソードですが、両親が離婚するとかしないとかもめていた時、二人の結婚記念日に、二人を追い出し、朝から晩に仕込みをして、ディナーに招待したことがあります。
料理はフレンチ。
初めてのことだから段取りが下手で、一皿だすのに、1時間。メインのステーキが出る事には、4時間経過。二人とも待ちくたびれてTVの前。
それでも最後のデザート(レモン・クリーム・パイ−なぜかアメリカン)だけは褒めてくれました(パティシエ目指してましたから)。それから、二人をもてなそうとしてくれた「気持ち」と。
そのディナーのおかげじゃないだろうけれど、今も二人は仲良くしております。
この映画を見て、二人が逝ってしまう前には、またリベンジをしてやらねば、と鑑賞後思ったもので。
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